御朱印集め(14) 日御碕神社
日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)は、島根県出雲市大社町日御碕にある。稲佐の浜から海岸沿いの山道をクルマで20分ほど北上したところだ。
これは鳥居をくぐったあとの楼門である。石標柱には、出雲日御碕神宮と刻まれている。ここは地形が大きく高さの異なる二段に分かれており、下段の方が、日沉宮(ひしずみのみや)あるいは下の宮、上段の方が神の宮(かむのみや)あるいは上の宮と呼ばれている。
御由緒
社務所でいただいた日御碕神社御由緒略記も参照すると、
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子である天葺根命(あめのふきねのみこと=天冬衣命 あめのふゆきぬのみこと)がここからほど近い経島(ふみしま)にて天照大御神の「日出るところ伊勢国五十鈴川の川上に伊勢大神宮をまつり、日の本の昼を守り、出雲国日御碕の清江の浜に日沉宮を建て、日御碕大神宮と称して日の本の夜を守るように。」との御神託をうけて元は経島に建てられたものが約一千年前にこの地に遷座された。
神の宮は神代以来、この地の背後の隠ケ丘(かくれがおか)に鎮座されていたが、第三代安寧天皇十三年(二千五百年以上前)にこの地に遷座された。隠ケ丘鎮座の由来は、素戔嗚尊が出雲の国造りを始めてから、根の国に渡り、熊成の峯に登り、柏の葉をとって占い、「我が神魂はこの柏葉の止まるところに住もう」と言って投げた柏葉が止まったところが美佐木なる隠ケ丘だった。それでこの標柱が立っていたのだ。
神の宮は素戔嗚尊の神魂が鎮まる日本総本宮である、とも書かれており、このひとつ前に参拝した須佐神社が須佐大宮としていたのでどういうことかと考えたが、神の宮は、国造りを始めた素戔嗚尊の神魂が住み始めたところで、須佐神社は、御終焉の地としての御魂鎮の霊地と明記されていた。
御祭神
日沉宮: 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
天にましまして照りたもう神。
神の宮: 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
嵐の神で勇猛迅速に荒れすさぶる神。
蛇足ながら、天照大御神は、素戔嗚尊のお姉さまである。
日沉宮拝殿
日沉宮本殿
奥の方が本殿、手前は拝殿。
本殿切妻部の装飾は、真ん中に太陽、右側に月、左側に星を配し、それぞれが天照大御神、月読命(つきよみのみこと)、素戔嗚尊を象徴している。この三柱の神は、伊耶那岐神(いざなぎのかみ)の禊から成った神で、三貴子と呼ばれている。これまで登場していなかった月読命は、月の神だ。
神の宮
石段を上った上にあるのが神の宮。
拝殿の中に見える御幕に記された御紋は、素戔嗚尊が占いで投げた柏の葉である。
日御碕神社の現在の建物はすべて徳川家光公の幕命によって建立された西日本には例をみない総「権現造」である。やはり徳川幕府によって建立された香取神宮の建物とよく似ている。
御朱印
経島
神社の海側の鳥居をくぐり、北向きに少し歩くと経島(ふみしま)が見える。日沉宮ひしずみのみや)が最初に建てられたところで、鳥居と小さな祠らしきものが立っている。
日御碕灯台
経島が見えるところからさらに北の方に歩くと、日御碕灯台が見えてくる。
月讀神社
日御碕神社の摂社、末社ではないようだが、日御碕神社の駐車場を出て、少し走ると左側に月讀神社の表示が視界をよぎった。帰宅後に調べてみると山の中に月讀神社があることがわかった。Google Mapのストリートビューの写真を引用する。
以上
(2021/10/17)