御朱印集め

御朱印集め(62) 那須乃木神社

御朱印集め(62) 那須乃木神社

 栃木県那須塩原市に鎮座する那須乃木神社(なす のぎじんじゃ)に参拝した。

御由緒

御祭神

 乃木希典命(のぎまれすけのみこと)

配祀

 乃木静子命(のぎしずこのみこと)

 

 乃木大将と言えば、現在70歳の私が子供の頃、漠然と昔の偉い大将という印象を持っていたと思う。ところが司馬遼太郎の「坂の上の雲」で、旅順攻略戦、二〇三高地の戦いで、数多くの将兵を無駄死にさせた愚将であると書かれているのを読み、それまでの印象が逆転するとともに、「坂の上の雲」に書かれている内容は本当のことなのだろうか、という違和感を抱き続けていた。「坂の上の雲」は小説としては面白いし、NHKがテレビドラマ化し、それも見た。しかし、「乃木大将は立派な軍人であったが、戦は下手だった」という評価が本小説により世間に撒き散らかされてしまったようなのだ。

 そして、最近たまたま「乃木希典と日露戦争の真実 司馬遼太郎の誤りを正す」桑原嶽著(PHP新書=以下の写真参照)という本に出会い、司馬遼太郎の乃木評は、作者の個人的な見方、桑原嶽氏によれば偏見独断に満ちたものであることがわかり、桑原嶽氏の事実の基づいた解説により「坂の上の雲」の読後続いていた乃木大将への誤解が解けてよかったので、これまで国道4号線で近くを度々通り過ぎるだけであった乃木神社に参拝し、これまでの不明を詫びるとともにあらためて敬意を表したものである。

境内

(一の)鳥居と標柱

(二の)鳥居

御手洗川

手水鉢

御神馬

 明治時代の皇太子殿下(後の大正天皇)より御下賜の名馬で殿号(しんがりごう)と名付けられた。

乃木大将像

拝殿

静沼

乃木希典那須野旧宅

殿号厩

 

 

御朱印

水師営会見所

 日本が二〇三高地を奪取し、日露戦争に勝利した後、乃木大将がロシアのステッセル将軍と会見した旅順近郊の水師営の会見所に私は2009年11月に訪れたのでそのとき撮影して写真を以下に掲載する。乃木大将は、敗軍の将ステッセルの名誉を重んじ帯剣での会見に応じた。

 水師営の会見は、そのとき従軍していた外国新聞特派員によって全世界に報道され深い感動を巻き起こしたそうだ。乃木に勝者の驕りなく、ステッセルに敗者の卑屈なく、共に祖国の興亡をかけて、全智全能を傾けた両将に対し、全世界は惜しみない賞賛の言葉を浴びせたのである。(「乃木希典と日露戦争の真実 司馬遼太郎の誤りを正す」桑原嶽著より引用)

 会見所では手術台が会見用の机として使用された。

 にわに一本なつめの木、と歌われたというステッセル将軍から送られた白馬をつないだ棗の木。実際にはその木は枯れたのでこれは3代目。4代目は右の方に育てられている。


以上

(2024/9/18)