御朱印集め(64) 弟子屈神社
北海道川上郡弟子屈町高栄に鎮座する弟子屈(てしかが)神社に参拝した。
御由緒
明治二十五年、伊勢より二柱の大神を奉祀されたということである。
御祭神
天照皇大御神(あまてらすおおみかみ): 伊勢の皇大神宮(内宮)より奉祀された皇祖神
豊宇気比売神(とようけひめかみ): 伊勢の豊受大神宮(外宮)より奉祀された米をはじめとする衣食住の恵みをお与えくださる産業の守護神
境内
鳥居
本殿
千木は伊勢の内宮と同じ内削ぎ(先端が水平に削がれている)。鰹木の数はこの写真と冒頭の写真とを合わせて見ると7本(奇数)あるように見える。千木が内削ぎの場合は鰹木は偶数と思い込んでいたので、調べるとWikipedia にあった神社本庁の公式見解で、鰹木の数は神社によって異なるという結論になっている。伊勢の内宮では千木が内削ぎで鰹木は偶数、外宮では外削ぎで奇数なので、この関係は全ての神社で同じだと思っていたのだが違うようだ。
御神木
樹齢二百年の蝦夷山桜。参拝当日は天気に恵まれたが、厳しい環境を偲ばせる樹形である。
御朱印
弟子屈神社
銀色で「霧の摩周湖」と揮号されている。
川湯神社
川湯神社には参拝していないのだが、弟子屈神社で境内を掃き清められていた若い神職さんに御朱印をお願いしたところ「千円ですがいいですか。時間かかります。」と言われ、高いけれどこのような僻地で神社を維持する一助になればと思ったのだが、二社分の御朱印をまとめていだだいたのであった。あとで場所を調べると通って来た道道52号屈斜路摩周湖畔線から脇道に少し入ったところにあったことがわかった。
また、こちらの御朱印には金色で「大鵬」と揮毫されている。昭和の大横綱・大鵬は弟子屈町の出身だったのだ。子供の頃、大鵬はロシア人などと聞いていたが、Wikipediaによると、大鵬は昭和十五年(1940年)、当時日本領であった樺太(現在のロシア・サハリン州)で生まれウクライナ人の父親を持つそうだ。
Googleストリートビューの写真を引用する。
摩周湖
「霧の摩周湖」と歌われた摩周湖は、今回、四十数年振り三度目の訪問だがいずれも好天に恵まれよく見えた。季節は夏が三度、秋が一度(今回)である。もしかしたら歌のイメージとは異なり、意外と好天が多いのかもしれない。
以上
(2024/10/21)