御朱印集め(66) 氣比神宮
福井県敦賀市に鎮座する北陸道総鎮守越前國一之宮、氣比神宮(けひじんぐう)に参拝した。
御由緒
御祭神
御祭神については、御神徳とともに氣比神宮WEBサイトより引用させていただいた。
・伊奢沙別命(いざさわけのみこと) ※衣食住・海上安全・農漁業・交通安全
・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) ※無病息災・延命長寿・武運長久
・神功皇后(じんぐうこうごう) ※安産・農漁業・海上安全・無病息災・延命長寿・武運長久・音楽舞踊
・応神天皇(おうじんてんのう) ※海上安全・農漁業・無病息災・延命長寿・武運長久
・日本武尊(やまとたけるのみこと) ※武運長久・無病息災・延命長寿
・玉姫命(たまひめのみこと) ※音楽舞踊
・武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)※延命長寿・無病息災・武運長久
主祭神 伊奢沙別命は御食津大神(みけつおおかみ)とも称し食物を司り、また古くより海上交通、農漁業始め衣食住の生活全般を護り給う神として崇められている。神功皇后、応神天皇はまた漁業に対する御神徳著しく、古来五穀豊穣、海上安全、大漁祈願が行われ、現に農漁海運業者の崇信が極めて篤い。神功皇后は安産の神として霊験あらたかである。仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・応神天皇・武内宿禰命は無病息災延命長寿、また神功皇后・玉妃命は音楽舞踊の神である。(引用ここまで)
気比大神との名前の交換
竹田恒泰著・現代語古事記に「気比大神との名前の交換」という一節が設けられており、御由緒を理解する参考になるので、ここに引用して紹介する。
戦いに勝った神功皇后の大臣の武内宿禰命はその太子(品陀和気命=応神天皇)を連れて、戦の禊をしようとして、淡海(おうみ=琵琶湖)や若狭国(福井県南西部)を巡りました。その時、高志前(こしのみちのくに)の角鹿(つぬが)(福井県敦賀市)に仮宮を造って滞在しました。
すると、そこに住む伊奢沙和気大神之命(=伊奢沙別命)が御子(太子、品陀和気命)の夢に現れて「私の名を御子の御名と換えたい」と仰せになりました。そこで御子が「畏まりました。お言葉のとおりにいたしましょう」と申し上げると、その神は「明日の朝、浜に行きなさい。名を換えたことへの贈り物を与えよう」と仰せになったのです。
翌日の朝、御子が浜にお出掛けになると、鼻が傷ついたイルカが、浦一面に打ち上げられていました。ところで、古(いにしえ)のイルカ漁は銛で鼻を突いて捕らえるため、捕らえたイルカの鼻にはその傷が付いていたのです。
イルカを目の当たりにした御子は「私に御食(みけ)の魚を与えてくださいました」と神に申し上げました。御食とは神に差し上げるお食事のことで、神の食料が御子に下賜されたことを意味します。
そこで、その御名を称えて、その神を御食津大神(みけつおおかみ)と名付けました。今に言う気比大神(けひのおおかみ)です。気比大神は気比神宮(福井県敦賀市)の御祭神をされています。またそのイルカの鼻の血が臭かったので、その浦を名付けて血浦(ちうら)といいます。それが都奴賀(つぬが)となりました。現在の敦賀(つるが)です。(引用ここまで)
因みに神功皇后は第十四代仲哀天皇の后、第十五代応神天皇はその御子、日本武尊は、第十二代景行天皇の御子である。
境内
案内図を氣比神宮WEBサイトより引用させていただいた。
大鳥居
鳥居
外拝殿
猿田彦神社
末社。導きの神、猿田彦大神を祀る。
境内にはこの他にも摂社・角鹿神社:祭神 都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしとのみこと)、末社・兒宮(このみや):祭神 伊弉冊尊(いざなみのみこと)、末社・大神下前神社:祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)、氣比大神降臨の地とされ氣比神宮鎮座にかかる聖地である「土公」があったのだが、訪問時に気が付かなかったのは私の不徳の致すところである。
芭蕉の碑
御朱印
全国の神宮
全国に神宮は25社あり全神宮への参拝を目指しているのだが、今回氣比神宮を参拝したことで15社の神宮を参拝したことになり、あと10社で目標達成となる。
伊勢神宮 参拝
伊弉諾神宮 参拝
霧島神宮 参拝
鹿児島神宮 参拝
鵜戸神宮 参拝
英彦山神宮 参拝
橿原神宮
宮崎神宮 参拝
氣比神宮 参拝
宇佐神宮 参拝
近江神宮
白峯神宮 参拝
平安神宮 参拝
赤間神宮
水無瀬神宮
新日吉神宮
吉野神宮
北海道神宮 参拝
明治神宮 参拝
熱田神宮
石上神宮
日前神宮・國懸神宮
日前神宮
鹿島神宮 参拝
香取神宮 参拝
以上
(2024/11/16)