御朱印集め

御朱印集め(73) 大神神社

御朱印集め(73) 大神神社

 奈良県桜井市に鎮座する大和国一之宮、大神神社(おおみわじんじゃ)は、桜井市立埋蔵文化財センターの次に行く予定だったのだが、当日は天皇誕生日を中日とする三連休で大神神社駐車場が行列で入れず石上神宮のあと夕方に回したのだが、石上神宮は少し話が飛ぶため、大神神社を先に紹介する。

 上の写真は二の鳥居である。

御由緒

御祭神

 大物主大神(おおものぬしのおおかみ) ・・・出雲大社の大国主命の和魂(にぎたま)で、三輪山に鎮まられた。

配神

 大己貴神(おおなむちのかみ) ・・・出雲大社の大国主神と同じ

 少彦名神(すくなひこなのかみ)・・・出雲の国造りを大国主神と協力して行った。

竹田恒泰著「現代語古事記」、三輪山の大神の項を引用・要約する。

 崇神天皇の御世に疫病が流行ったおり天皇の夢に大物主神が現れ、「意富多多泥古(おおたたねこ)に我が御魂を祭らせなさい。そうすれば神の祟りも起こらず、国は安らかに治まるだろう」と仰せになりました。天皇が「あなたは誰の子か」とお尋ねになると「私は大物主神が陶津耳命(すえつみみのみこと)の娘の活玉依毘売(いくたまよりびめ)を娶って生んだ櫛御方命(くしみかたのみこと)の子の、飯肩巣見命(いいかたすみのみこと)の子の、建甕槌命(たけみかづちのみこと)の子の意富多多泥古(おおたたねこ)です」と申し上げました。

 ここで建甕槌命が登場するのが面白いが、関東の鹿島神宮の神で、このあとで行く春日大社の神でもある。

 引用・要約をつづける。すると天皇は大いにお喜びになり「天下は治まり、人々は栄える」と仰せになって、意富多多泥古を祭主として、御諸山(みもろやま)に意富美和之大神(おおみわのおおかみ=大三輪大神。大物主神を指す)を拝み祭りました。これにより疫病は止み、国は安らかに治まりました。

 さて、意富多多泥古が神の子であると知った理由は、美しい活玉依毘売のもとに、若く美しい男がやってきて毎晩一緒に過ごすようになると、ほどなく自然に妊娠しました。父母はその男のことを知りたく、「糸巻に巻いた麻布を針に通して、その衣の裾に刺しなさい」と教えたところ、活玉依毘売は言われたとおりにし翌朝見ると、針で付けた麻糸は戸の鍵穴から通り出て、残った麻糸は三勾(三巻き、三輪山のみわとかけている)だけでした。その男が小さな鍵穴から出て行ったことを知り、その糸を辿っていくと、美和山(三輪山)に至り、神の社に続いていたので、その男が神の子であると分かりました。これが「三輪山伝説」です。

 私はこの三輪山伝説を読んで、有名な三輪そうめんはこの伝説の長い糸にかけているのではないかと思った。因みに三輪そうめんの大きなお店が近くにあって、お昼を食べに入ったが、50分待ちだったのであきらめて引き返した。もうひとつ美和ロックという鍵の会社があるが、これは三輪山伝説の鍵穴と関係あるのだろうか。以前気になって美和ロックに聞いてみた気がするが、過去のメールを探しても出て来ないので気のせいか。

 

境内

 境内の案内図を見ると、拝殿の奥に本殿がないことがわかる。これは、大神神社が三輪山を御神山としているからだ。拝殿の奥に変わった形の三ツ鳥居があるが、「本日は降雪のため神山登山参拝中止と致します」の貼り紙が出ていたため、行こうとしても行かれなかった。ただし事前調査時に気が付かなかったのは手落ちと言うべきである。

大鳥居

 斜めから撮影しているので、背景の山は御神山の三輪山ではない。

JR三輪駅

 大鳥居から二の鳥居までの間にJR踏切と三輪駅がある。

参道

 参道は現在整備中だが、奥に見える建物は自動車お祓い用の社殿、その背後の山が三輪山である。

二の鳥居

 扁額には三輪明神と書かれている。

拝殿下の石段

拝殿

 拝殿の背後は、御神山の三輪山に連なる森である。

 

御朱印

以上

(2025/3/10)