御朱印集め

御朱印集め(8) 鴨大神御子神主玉神社

御朱印集め(8) 鴨大神御子神主玉神社

 かものおおかみのみこかみぬしたまじんじゃ、と読む。茨城県桜川市の田んぼの中の小山というような相当に辺鄙な場所にあり、ここまで辿り着けたのはカーナビのおかげである。正式な駐車場はないので道端に停めさせていただいた。階段の下の縄につけられた紙垂(しで)が鳥居の代わりと思われる。

 階段を上り切ったところにもあるので先ほどのが一の鳥居、これは二の鳥居相当なのかと思ったが、Wikipediaによるとそれぞれ、二の生鳥居、三の生鳥居というそうで、もうひと外側に一の生鳥居があったようだ。Google Mapを調べると「鴨大神御子神主玉神社の注連縄鳥居」として数百メートル離れた田んぼの中にある。

 拝殿にかかる扁額は新しいものだ。

 横にまわるとかなり奥行があることがわかる。また本殿左右には境内社がある。

御由緒

 ここには書かれていないが、BC652年(神武天皇8年)創建という、とても古い神社だ。神代の昔に建てられたとも言えるし、現本殿は1569年に修造されたとはいえ、この地にあるのだから神話ではなく現存する歴史のもっとも昔に建てられたとも言えるだろう。延喜式神名帳に記載のある神社(式内社)で京都の下賀茂神社から御分霊されている。

御祭神

・賀茂大明神

 迦毛大御神(かものおおみかみ)と同じか。大国主命が胸形の興津宮に鎮座して多紀理毘売命(たきりびめのみこと)を娶ってお生みになった子が、阿遅鉏高日子根神(あじすきたかたかひこねのかみ)で、今は迦毛大御神と言われている農業の神様だ。

・大田々根子命(おおたたねこのみこと)

 古事記では意富多多泥古命(おおたたねこのみこと)。第十代崇神天皇の御代に疫病が流行った際、天皇の夢に大物主大神が現れ、「意富多多泥古命に我が御魂を祭らせなさい、そうすれば神の祟りも起こらず、国は安らかに治まるだろう」と仰せになった。

 竹田恒泰著・現代語古事記(P.171~172)では、「神武天皇は大物主神の娘婿にあたりますが、大物主神は、神武天皇ではなく、自らの子孫にあたる意富多多泥古命に祭祀を行わせるようにお求めになりました。ここに祭祀は男系の子孫によって継承されるべきであるという、祭祀継承の原則があったことを見ることができます。天皇の祭祀も同様に、男系の子孫によって継承され、現在に至ります。現在の日本の一般社会においても変わることはありません。神棚や仏壇、そしてお墓などを考えれば、祭祀の継承は日本の家族制度と不可分一体であることが分かると思います。」と述べられています。このように伝えられる家族制度(戸籍制度)・祭祀の継承を、安易に女系天皇賛成、選択的夫婦別姓賛成などといって壊すことがないように心しなければならないと思う。

・主玉神(ぬしたまのかみ)

 古事記に記載なし。

境内社

鹿島神社

向かって右側。

日枝神社

 向かって左側。

御朱印

(2021/9/28)