中国渡航記

上海ガイドその2

上海ガイドその2

魯迅故居

 中国の国慶節休暇に合わせて、妻が上海に来てくれた。先月、息子夫婦が来たときは2泊3日で蘇州まで足を延ばすという強行軍だったが、今回は3泊4日で上海市内だけのゆるプランで、日本に縁のあるところを見たことが特徴である。

 

スケジュール

 先月の息子夫婦訪問の際は、時間に追われ買物時間をほとんど取れなかったので、今回は買物時間にゆとりを持たせ、かつ食事予約したり、黄浦江クルーズなどをすると時間に縛られるので、拘束条件のない全体に余裕のある計画とした。妻とは10年ほど前に一度上海旅行をしたことがあるので、豫園などの定番コースをカットできるメリットもあった。

 以下は予定である。予定通りいかなかったところは本文で。

10/3(土)MU272上海浦東空港T1 12:20着 出迎え(12:50)リニアと地下鉄で我が家へ。 
14:50頃着 お茶。
★臨時宿泊登記をマンションの事務室に出しに行く。
16時頃出発→歩いて娄山关路駅へ。
地下鉄で南京西路まで行き、途中会社を見て、(1駅分歩き)人民広場向かいの雅科の屋上ガーデンで夕食。17:30~19:00。
タクシーでアナベルリーへ(朝10時から夜10時まで)。
20時頃着。
外灘夜景を鑑賞。
★南京東路駅は国慶節期間中封鎖!
人民広場まで歩いて(約60分)地下鉄で帰る。21時半頃家着。

10/4(日)8時半頃出発して地下鉄で田子坊へ。9時半頃着。
12時頃出て、タクシーで新天地へ。
歩く元気があれば、思南路、思南公館を通って新天地へ。(約50分)
新天地で食事。
黄陂南路または新天地から地下鉄で娄山关路へ。
APITAでお茶して、食材買って、夜は家で鍋。

10/5(月)9時頃出発して、地下鉄で旧日本租界のあった虹口地区へ、魯迅記念館(公園内)→甜愛支路→甜愛路→山陰路→魯迅故居→東江湾路→内山書店旧址→多倫路など見て四川北路の飛龍生煎で食事。
3号線東宝興路から2号線娄山关路へ。一旦自宅に戻って休憩。
夜は娄山关路のAPITAのある金虹橋商場の過門香などで食べたいもの食べる。

10/6(火)5:00起床。6:15出発。地下鉄で上海虹橋空港T1へ。7時着。
FM815上海虹橋T1 9:05発

1日目 南京西路、外灘、南京東路

 まずは、上海浦東空港へ迎えに行く。ネットで購入した往復4万円ほどの安いチケットなので、MU(中国東方航空)。MUは中国国内線では時間遵守率が低いので有名だが、定時の3分前に到着の表示が既に出ており。さすが日本発と感心。

臨時宿泊登記を出しに行く

 自宅到着後、頼んでおいた日本食や日本酒の差し入れを受けとり、お茶を飲んだあとは、臨時宿泊登記書を出しに行く。

 聞きなれない言葉だが、中国に入国したら、あるいは国内でも移動したら24時間以内に提出しないといけない大事な書類だ。日本からの観光客や出張者がホテルに宿泊する場合にはホテルが代行して公安に提出してくれるので普段は意識しないで済むが、今回のように単身赴任先の夫の自宅に泊まる場合は、要注意だ。

 春節に妻が深センに来たときには会社の人事で調べてもらい2週間以内なら提出必要なし、とのことで提出しなかったが、私が上海に転勤して来たときは外国人居留証を正式に申請するのだから「臨時」宿泊登記など必要とは毛頭考えもせず、いざ入出国管理局に外国人居留証を申請する段になって臨時宿泊登記書が必要と言われて泡を喰った。公安の派出所に申請に行き、24時間以内に届け出なかったことに対する取り調べを受け、調書作成され拇印捺印し、今度やったら拘留、国外退去もあり得ますよ、と警告を受けたこともあるので、今回は大事を取って、マンションの事務所に届け出に行ったのだ。

 日本人同僚の奥さんが上海に来られたときもそうしたというので、それに倣ったということもある。ところが、事務所では、臨時宿泊登記を出すなら公安の派出所(前に取り調べを受けたところ)と言われ、あそこまで行くのは時間もかかるので嫌だなと思っていると、別の人が4日しか滞在しないなら届け出不要と言ってくれたので助かった。

南京西路へ

 さて、前回と同じく庶民の商店街を通って地下鉄・娄山关路駅へ。

 2号線を4駅乗り、南京西路で降りる。会社のあるビルを見せるのと、夕食前の腹ごなしを兼ねて、人民広場駅まで一駅分歩く。

CIROS PLAZA

 私の勤める会社は上海一醜いと言われているらしい無駄に凹凸のある前衛的な形のビルに入っている。窓掃除のしやすさなどは全く考えられていないものと思われ、先日窓掃除を目撃したときはほとんどサーカスであった。

 夕食は、先月と同じ南京西路の上海近辺の料理を出す「雅科」に入る。最近、出張者との会食も含め続けて3回来たので、顔を覚えられ、常連の気分に。

 以前は、というか今でも何で客が怒られなければならないんだ、というような客あしらいのレストランも多いが、ここは随分丁寧な応対になって来ていて、この料理がまだ出て来ない、と言うと調べて参ります、すぐお持ちしますのでしばらくお待ちください、と丁寧に答えてくれる。麺は時間がかかるのよっ!などと言われるところとは大違いだ。

 

 

外灘へ

 国慶節の期間中、外灘に最寄りの南京東路駅は封鎖されている。

自動チャージ機に南京東路駅は封鎖済み、の貼り紙

 新年のカウントダウンか何かの時に外灘で人が折り重なるようにして倒れる大事故があったので、外灘に行き来できにくいようにしているのだろうか。対策としては何かおかしくない?と言う感じである。

 それで外灘への最寄り駅は隣の人民広場駅になるが、ここから外灘までは歩いて1時間程度かかり、往復歩きは疲れるな、と思っていたが運よくタクシーが捕まった。乗り込んで外灘の福州路のところへ、言うと、外灘ならすぐそこだから歩いて行けと言われたが上海の運ちゃんの挨拶のようなものか。

 福州路を指定したのは、妻が買物をしたいお目当てのANNABEL LEEという店があるからだ。シルクの洋服や気の利いた小物がリーズナブルな価格で買えるのでガイドブックでもよく紹介されている。

 10年前には新天地にあってそこで妻が気に入り今回も、ということになったので、事前に新天地のあったはずのあたりを探したが見当たらない。百度(バイドゥー)の地図でも出てくるのだが別の店に変わっており、現在は外灘に移転したその場所を事前確認しておいたものだ。

 ところが店の前まで行ってみると灯りが消えている。なんと、10月3日までは国慶節の交通規制のため15時か15時半かで閉店と言う無情の貼り紙が。
うーーん、せっかく来たのに。

 仕方ないので翌日出直すことにし、外灘で写真を撮る。流行りのスマホ用自撮棒で撮るが、私のHuaweiスマホ3X-Proは、イヤホンジャック接続でもBluetoothでもシャッターが切れないとネット上も質問が出ている問題機種で、やむなくタイマー撮影で撮る。

 外灘の遊歩道の上は大混雑で自撮り棒を長く伸ばすのは危険な状態。タイマー5秒を待っている間に人が通りそうになるので、なかなかうまく撮れない。

外灘

南京東路へ

 南京東路は地下鉄駅封鎖の影響もあるのだろう、人であふれていた。ただ、ふだんは歩道しか歩けないのが車道のクルマ乗り入れを規制しているのが救いだった。

上海新世界大丸百貨

 南京東路の上海新世界大丸百貨は全面吹き抜けの空間を曲線を描いて上り下りするエスカレータがありとても綺麗。

 南京路歩行者街への入り口の交差点は大勢の警察官が動員されており、信号が変わる度に隊列が一斉に行進して向きを変える様は壮観だった。

フォーメーション変更行進

 警察官の方は一糸乱れぬ動きで本当にご苦労様。

 南京東路では、先日息子夫婦がお土産に買って帰って美味しかったという渦巻き模様の生菓子を買う。地下鉄で帰宅し、早速試食。外観は異なるが、和の生菓子と似た感じの舌触りと味で美味しかったが量が多いので一個を半分ずつ頂いた。

2日目 田子坊、新天地、外灘(ANNABEL LEE)

田子坊へ

 自宅から大通りまで出ると、案外空車のタクシーが走っているので、地下鉄はやめてタクシーで田子坊へ向かう。
 先月は田子坊滞在時間30分強だったが、今回はゆっくりほぼ全体を3時間かけて歩き廻った。

石庫門スタイルのショップ 迷路のような田子坊

 花柄の財布、お土産用の茉莉花茶(ジャスミンティー)。自然石のペンダント?、クルマの中にぶら下げるパンダのぬいぐるみ(小)、そして少数民族風模様のコートが買物成果。

新天地へ

 昼前に雨が降り出し、お腹もすいてきたので思南路を歩いて新天地に向かうのはやめ、タクシーで新天地へ。行き先を告げると、「田子坊から新天地か」と典型的な観光地めぐりだねっ、てなことを言われた。

「海逸」下見の際に撮影

 ひととおり、外国人の多い新天地のレストランを見て回った後、予め見当をつけておいた海逸という中華料理店に入る。並んでいたが、2人だったのですぐに案内された。メニューを見ると点心類がメインの店で、鳩のパリパリ焼き、ベトナム春巻、湯葉春巻、焼きビーフン、に魚香茄子を食べた。

 ここはドイツ生ビールも含めて点心類だけでも結構高額になってしまった。

ANNABEL LEEへ

 さらにタクシーで昨日肩透かしを喰ったANNABEL LEEへ。新天地では一等地だったが、ここは外灘でそれ自体上海一の観光スポットだが、黄浦江沿いに南北に走る中山東一路の中でも外灘入口と言える南京東路から南に順に九江路、漢口路、福州路とある、その福州路の次の袋小路の路地を30mほど入った比較的目立たないところにある。

ANNABEL LEE

 店自体は広いし立派なのだが、雨のせいもあるかもしれないが、他に客はおらずすぐに日本語の話せる感じのよい店員さんが手荷物を預かってくれた。 

 シルクの小物類等がリーズナブルな価格で充実しており、妻はお目当ての小物を何点か買い求め、さらにシルクのドレスが気にいってしまった。ベトナム旅行であつらえたアオザイだって買うだけ買って日本では着ていないしどうするんだよ、と一応思いとどまらせようかとしたものの、何年振りかの同窓会に着て行くのに必要という理由から購入決定。結構華やかなガラス細工がついたベルト兼チョーカーもついて3割引きということでお買い得感もあった。

 さらに上海のTシャツは私とお揃いのものを買い求め、会計の段になって、このベルトはドレスとは別ですと言うので、でもさっき一緒だって言ったじゃない、と返すと中国人にしては珍しくすぐに引き下がり、わかりましたと一緒の価格のままでよくなった。

 ここは日本人のオーナーという話もあり、ホームページ(http://www.annabel-lee-onlineshop.jp/)を見ても日本人が主要なターゲットと見られるので、応対も日本的に教育されているのかもしれないが、妻としては気に入ったものがたくさん買えて大満足だった。

 雨もざあざあ降っているので、タクシーで娄山关路・茅台路のAPITAのある金虹橋商場(ショッピングセンター)へ直行。今夜は自宅で鍋にするためその材料だけ買い、荷物も相当重くなったのでまたタクシーで、帰宅。

3日目 魯迅公園、多倫路文化名人街

虹口へ

 妻がお土産に上海蟹ポッキーを買いたいとのことだったので前日に日系スーパーのAPITAで探したのだが、ポッキー自体はあっても上海のご当地ポッキーはなかった。

 そこで3日目はまず、地下鉄2号線静安寺にある久光百貨店で探したがやはり見つからず、でももうひとつのColonは見つかったのでこれを買ったあと、7号線で鎮坪路まで行き、さらに3号線に乗り換え虹口足球場(サッカースタジアム)へ。

 虹口に来たのは、ここが戦時中日本を含む共同租界があった場所だからだ。そもそも外灘(バンド)は欧米列強の租界だったが、それが今では歴史的建造物として観光スポットになっている。では、日本人が多く住んでいたこの地域はどのような場所かを確かめたかったのだ。

 案内板で1号出口だと確認して歩き出すがどうも様子がおかしい。この駅は3号線と8号線の両方の駅があり、それぞれに1号から4号までの出口からあるのだった。同じ名前の駅なら通しで番号をつけるのが普通だと思うが。中国はこういうところが行き届かない。

魯迅公園へ

 5分ほど歩いて魯迅公園へ。雨も少し降っているので、公園の中にある魯迅記念館にまっすぐ向かう。

 魯迅と言えば阿Q正伝を書いた人、恥ずかしながら高校時代に習った世界史で覚えているのはそれだけだったが、日本留学して仙台で医学を学んでいることがわかった。その際、先生にノートを見せなさいと言われて渡すと、翌日、日本語が十分にわからない魯迅のためにびっしり朱書き訂正追加が書き込まれていたとのこと。小説「藤野先生」にこのことが書かれているという。。

 しかし、授業の合間に日本が中国で当時行っていた軍の残虐行為の映画などを見せられ、医学を勉強している場合ではないと考え1年半で中国に戻り、その後文学者、左翼として社会活動をしたそうである。

 これを機会に、AmazonのKindle本をネットで購入した。中国ではなかなか日本の紙の本は買えないので電子ブックを買うしかないのだ。

魯迅  内山完造

 往時、上海に初めて書店を開いた内山完造氏と親交があったとのことで記念館内に内山書店(の門構え)を再現した売店があり、氏の銅像が置かれていた。日中戦争前後を描いた小説などを読むと内山書店という名前はよく出てくるのでこれがそうか、と思ったものである。

 次に魯迅故居に向かう。魯迅が1933年4月11日から1936年10月19日に亡くなるまで生活していたところで山陰路にあった。残念ながら月曜休館で中には入れなかった(本項冒頭の写真)。

 さらに内山書店旧址を探す。これは東江湾路の建物の壁にパネルが架けられていることから往時をしのぶことができる。この時はパネルだけかと思ったら、その後調べるとこれは中国工商銀行支店の外壁でその2階に資料室があることがわかった。

内山書店旧址

内山書店の説明パネル

 これを読むと、内山書店は、現在の共産党政府からも評価されていることがわかる。当時左翼(共産党勢力)は国民党政府から迫害を受けており、日本租界内にある内山書店は左翼のサロン兼避難所のような役目を果たしていたらしい。

多倫路文化名人街へ

 少し歩いて多倫路文化名人街へ。ここには文人、社会活動家などの銅像や壁画などが展示されている。

郭沫若  丁玲

 この写真を選んだ理由は、郭沫若は聞いたことがある、丁玲はここでは数少ない女性であるというだけで他意はない(なお、これらの写真は下見時に撮影)。

 いつ頃からかわからないが郭沫若(カクマツジャク)、という舌を噛みそうな語感が何か印象に残っていたのだ。郭沫若、郭沫若、郭沫若、郭沫若、郭沫若、と声に出して間違えずに5回繰り返して言えるだろうか。

 因みにこの機会にWikipediaで調べてみると、「郭沫若は中華民国、中華人民共和国の政治家、文学者、詩人、歴史家。1914年日本に留学、岡山六高、九州帝大医学部を卒業後、国民党に参加するも蒋介石と対立し日本へ亡命、1937年日中戦争勃発後国民政府に参加、戦後は中華人民共和国に参画し、文化大革命時は毛沢東に迎合する自己批判を行うが、文革時の四人組が逮捕されたあとは一転して彼らを批判する詩を発表した。文革時を通した言動が彼全体の評価に影響している。1978年、北京で病没。」(以上筆者要約)とある。

 このように割りと変わり身の早い人物であったようだが、日中友好協会会長を務め、田中角栄首相時代の日中国交回復には大きな役割を果たした(その実、日本に対する視線は終始冷たかった)そうなのでニュースでも耳にすることがあったのだろう。

 一方の丁玲は現代女流作家で、1986年に81歳で亡くなっている。

多倫路・永安里

 ここには、現在の内山書店がある。男性が2,3人店の前で話をしており入りにくい雰囲気だったので中は見なかったが、古書店の風情だった。

現存する内山書店(下見時に撮影)

 多倫路は、石造り、煉瓦造りの欧米風の建物が今ではおしゃれなカフェや宝石店などになっていたり、魯迅故居があった山陰路界隈も日本家屋は見当たらなかった。ということで日本との関係性は、魯迅と郭沫若、内山書店だけでしか今回は発見できなかったが、上海で買った上海攻略ガイドブックを見返してみると旧日本海軍武官駐屯地も多倫路にあることがわかった。

四川北路で飛龍生煎を

 お昼は、多倫路で出てすぐのところにの四川北路にある飛龍生煎という店で生煎(焼きシャオロンパオのようなもの)と、皮蛋(ピータン)粥、豚カツを食べる。

 海鮮生煎はこの店の看板メニューで、肉餡と海老、熱々のスープが中にたっぷり入っており火傷せずにスープを飛び散らさないように食べるのが難しいが美味である。

 豚カツは、上海では日本食屋でなくても、台湾系の店などでよくあるが、日本のカツとは衣が少し違うのと、日本人はどうしても豚カツソースが欲しくなるが、肉に味がついているので、そのまま食べるところが異なる。

飛龍生煎にて

 地下鉄3号線東宝興路から中山公園で2号線に乗り換え、娄山关路駅へ。歩いて自宅まで戻り、待望の昼寝。あまりたくさん寝すぎるとぐでんぐでんに疲れて出かけられなくなるので1時間半ほどで起きて、歩いてAPITAのある金虹橋商場へ。

 ここの地下2階、地下1階、地上3階、4階に入っている全ての飲食店を順番に見て歩き、一番食べたいものにしようとしたが、結局上に上がったら地下へ降りる気はしなくなり、タイ料理店にした。

 中国に来たのになぜタイ料理か、と疑問に思われるかもしれないが、やはり日本人としては中華ばかり続けて食べると飽きるのだ。パパイアサラダ、大海老のニンニク揚げ、豚の頸肉ロースト、グリーンカレー、海鮮焼きそばを注文。

 残念だったのは、ビールに続いて注文した白ワインに、念のために冷えてるのを、と頼んだところ、氷を持ってくるがよいか?とのこと。冷えてないのをバケツに入れた氷水に入れるのでは冷えるのに時間がかかるが、まさか氷をワインに入れるというんじゃないだろうな、と9割方の疑念を持っていたのだが、案の定、氷だけたくさん入れたアイスペールを持ってきた。ウィスキーのロックじゃないんだから^^;

中国製白ワインに氷

4日目 虹橋空港へ

上海虹橋空港第2ターミナル駅乗り換えの怪

 6時過ぎに自宅を出て、地下鉄2号線で虹橋空港第2ターミナル駅へ、ここで10号線に乗り換えて虹橋空港第1ターミナル駅へ行く。

 実はこの乗り換えは初めてだったのだが、上海虹橋空港第2ターミナル駅の2号線と10号線はホームが平行に隣接していて、近くにもかかわらず一旦改札を出ないと乗り換えられない構造になっている。

 他の駅、たとえば人民広場駅の1号線と2号線は相当歩く必要があるが改札を出なくても行ける。ほとんどの駅がそうなっている。

 ここだけなぜ違うのか?上海虹橋空港第1ターミナル駅までは4元であることと、妻に渡していた上海交通カード(日本にSuicaのようなもの)は4元の残高があることとを確認して娄山关路駅から乗っているので、一旦外に出るのでは困るのだ。

 やむなく外に出て顧客サービス窓口で聞くと、そのまま入れという。怪訝に思いながらもそのカードを入れると残高0元で入れない。もう一度窓口に行くと10元チャージすればよいというのでやむなくチャージし、なんだ、やっぱり有料かと思ったら上海虹橋空港第1ターミナル駅で改札を出るときに残高は10元のままだった。残高0では乗り換えられないが、何等かの金額が残っていれば無料で乗り換えられるということだ。しかし、なぜ?また中国の疑問が増えてしまった。

 もしかしたら、国際線主体の第1ターミナルと国内線主体の第2ターミナル間は航空機の国際線-国内線乗り換え客のために無料で乗れるのだろうか。それにしても、2号線と10号線を改札で分ける必要はないと思うが。

任務完了

 何はともあれ、無事MU(東方航空)/FM(上海航空)のチェックインカウンターに着き、30分ほど行列し、国際線出国ゲートで見送ることができた。

 その後、私は妻がいる間に3Kg近く増えた体重を減らすため、空港から自宅まで9.3Kmを2時間近く歩いて帰り、お昼を食べてしばらくしたら無事羽田到着の連絡があった。

(2015/10/10)

a:327 t:1 y:0

以上