御朱印集め

御朱印集め(13) 須佐神社

御朱印集め(13) 須佐神社

 島根県出雲市佐田町須佐に鎮座する。海沿いの小田神社からは東南東方向に40分ほど走った山の中である。

御由緒

御祭神: 須佐之男命(すさのおのみこと)

 この御朱印集めシリーズで、既に何度も登場し、多くの神社で祀られている須佐之男命だが、この神社が須佐之男命の御終焉の地としての霊地である。それで鳥居の前の石標柱には須佐大宮と刻まれているのであろう。神社の公式サイトは以下のようにうたっている。

 出雲国風土記に、「この国は小さい国であるがよい処である。」とある。それで「自分の名は石木につけない、この土地につける」と須佐之男命が仰せられて、大須佐田、小須佐田を定められ、自分の御魂を鎮められたという意が書かれてあり、即ち御名代として又大神の御本宮として 霊験あらたかな御社です。

配祀神: 

稲田比売命(いなだひめのみこと)

 櫛名田比売(くしなだひめ)と同じ。八俣の大蛇(やまたのおろち)の八人目の生贄にされるところを須佐之男命に助けられ、妻になった。

足摩槌命 (あしなづちのみこと)

 足名椎(あしなづち)の神と同じ。稲田比売命の父神。

手摩槌命 (てなづちのみこと)

 手名椎(てなづち)の神と同じ。稲田比売命の母神。

 父神、母神は須佐之男命に「八度繰り返して醸造した強い酒を用意し、垣根を巡らせて、そこに八つの穴ををあけて、穴ごとに台を置き、それぞれに酒船を置き、強い酒を満たして待ちなさい」(竹田恒泰著・現代語古事記)と命じられて準備をした。現れた八俣の大蛇が酒を飲んでぐっすりと眠ってしまったあと、須佐之男命は十拳剣(とつかのつるぎ)で切りかかった。須佐之男命は作戦を考え、ひとに準備をさせ、大立ち回りをせずに最小限の労力で八俣の大蛇をやっつけたことになり、強い神だったが、要領のよい神でもあったわけだ。

 須佐之男命が足摩槌命、手摩槌命をこの須佐の宮地を守る稲田の首(いなだのおびと)とされてより、須佐神社の宮司家は連綿と続き現当主は第七十八代宮司須佐建紀氏である。さほど大きな神社ではないが、境内は広々として、爽やかに掃き清められている。

塩井(しおのい)

 この塩井(しおのい)は稲佐の浜に続いており、満潮の時には付近の地面に潮の花をふくという須佐神社の七不思議のひとつである。

拝殿

本殿

 こちらの本殿も出雲大社の本殿と同じ、このあたりではすっかり見慣れた大社造(たいしゃづくり)である。

大杉

 この大杉は昔、加賀藩から帆柱にと金八百両で所望があったとき、須佐国造がこれを断ったと伝えられているそうだ。

天照社

 須佐神社の鳥居から外に向かうと道路を挟んで天照社がある。

 天照社の拝殿は、新しく作られたものだ。

御祭神: 天照大御神

 ここの本殿も大社造だ。

御朱印

 御朱印を頂戴したときにご神職の方に、どちらからと聞かれたので、茨城県、常陸の國ですとお答えすると、ネットか何かで調べて来られたのですかとさらに聞かれたので、日本の起源について勉強していて、鹿島神宮、香取神宮、息栖神社の関東三社参りをしたあと今回、出雲大社にお参りしこちらにも参りましたお答えすると、やはりそうなんですか、とそういう人が多いような口ぶりであった。

 そこでこちらからも、茨城県は観光地が筑波山と袋田の滝しかないと言われているのですが、鹿島神宮は素晴らしいところでなぜここが茨城県の有名観光地に入っていないのか不思議ですが、戦後GHQの発した神道指令により神話や神社に関して一切教えられなくなったために神社というものが表舞台から隠されているのではないかと思います、というようなことを申し上げたところ、やはりそういうことがありますか、と表情を曇らせておられた。

 歩いて5分ほどのところに「スサノオ館」という歴史・文化紹介施設があるのを見つけ、これに隣接した温泉宿泊施設」「ゆかり館」にてうな重のお昼をいただいた。時間がないためスサノオ館はパスさせていただいた。ごめんなさい。

以上

(2021/10/17)