御朱印集め

御朱印集め(15) 高尾山薬王院

御朱印集め(15) 高尾山薬王院

 久しぶりに墓参りをしたあと、足を延ばして東京都八王子市にある高尾山薬王院を参拝した。高尾山と言えば、東京都民であった子供のころに何度かハイキングをした山である。写真には、高尾山薬王院の石標柱の右側に登山コース1号路、左側にケーブルカーの清滝駅が見えている。新型コロナウイルスによる緊急事態宣言明け後、最初の金曜日午後1時頃だが、そこそこの人出だった。

 この御朱印集めシリーズで、寺院に参拝するのは初めてである。境内案内図を高尾山薬王院の公式サイトより引用する。

 

 歩を進めるとところどころに鳥居があり、ここはお寺なのか神社なのか疑問が湧いてくる。あとで調べると神仏習合色が色濃く残ったお寺であるらしい。

仁王門

 「高尾山」の扁額が掛けられている。

御本堂

御本社の前に立つ鳥居

御本社 薬王院飯縄権現堂

 ここは、御本堂ではなく、御本社と呼ぶのは元が神社だからなのだろうか。

御本尊

 高尾山薬王院公式サイトに以下のように記載されている。

 行基菩薩開山以来「薬師如来」を本尊として奉祀してきた高尾山は、俊源大徳の祈請によって「飯縄大権現」を勧請し、爾来これを本尊として奉安している。「飯縄大権現」は、その信仰の起こりとしては、信州善光寺の北にそびえる飯綱山、戸隠山一帯に淵源を発する。この地方は善光寺の起こりと共に仏教の歴史も古く、戸隠、飯綱の山岳信仰も古い修験道の歴史を伝えている。

 ~中略~ 天福元年(一二三三)水内郡萩野城主、伊藤兵部太夫忠縄が山頂に飯縄大権現を祀り、修行の後、神通力を得て、百才以上の長寿を得たという。その子、次郎太夫盛縄もこの山に入り修行、霊験を得て妖術「飯縄法(いづなほう)」を編み出し、「千日太夫」を名乗った。以後、子孫が千日太夫を世襲して、この妖術を世に広めた。

 「飯縄法」とは、管狐と呼ばれる鼠ほどの小動物を飯綱山から得て、長さ四、五寸の管に入れて養い、常に懐中して、この小動物の霊能を用いて術を行ったという。伝説では、この管狐は著しい霊能力を持ち、変幻出没自在で、予言をなし、人になつき、飼い主には非常な利益をもたらすものと信じられ、恐れられた。

 ということで、御本尊の写真は撮らなかったので、公式サイトから引用させていただく。

 天狗ではないので、なんだろうと思っていたが、上記の解説を読んで管狐(くだぎつね)と呼ばれる小動物であることがわかった。

 なお、東京都教育委員会の設置した説明板(二つ上の写真)では、「飯縄の神を安置し」と書かれているので、やはり昔は神社だったようである。

 さらに高尾山薬王院公式サイトをよく読むと、以下のように解説されている。

明治維新の嵐
 江戸幕府による大政奉還、錦の御旗の関東制圧をもって徳川三百年、鎌倉幕府以来六百七十余年の武家支配が終わりを告げた。この事は直ちに神人天皇の直接統治という神政絶対主義国家の樹立を内容とする宗教改革を推し進める事となった。その第一が「神仏分離令」である。
 この機運をいち早く察知した当時の住職二十三世髙尾秀融は、明治三年八月、山麓不動院にあった「一之鳥居」、山上御本社前にあった「二之鳥居」を一夜にして押し倒し、その跡にそれぞれ一対の石灯篭を建立している。神仏分離、廃仏棄釈の嵐に揉まれて、多くの山岳霊場寺院が神社に姿を変えたりしたその後の経過を見るに、同時発令された、「修験道廃止」の事もあって、山内を二分するような騒動に決着を付ける意味でも「一夜にして…」の事は想像に難く無いのである。
 更に、明治四年には、寺領地七百二十余町歩の内、境内約十町歩ばかりを残して上地。帝室御料林とされ、現在は国有林となって林野庁の管理下にある。
 そして明治十二年の「宗教団体令」によって、中興以来、京都醍醐山無量寿院の末寺として来たところを、教学相承の流れを汲んで、智積院の末寺に転じている。行法作法を厳しく重んずる醍醐山であるが、神仏分離、修験道廃止の混乱の覚めやらぬ時期の事、近代化の風潮の中で、学問、論議の流れを汲む智山に就いたのも頷く事が出来る。(引用ここまで)

 これによると、御本社前にあった「二之鳥居」を一夜にして押し倒し、とあるので、やはり薬王院は以前神社であり、鳥居はその後再建されたのであろうことが想像できる。“御本社の前に立つ鳥居”の写真を参照。

 

奥之院 高尾山不動堂

富士浅間社

 高尾山公式サイトによると、今の社殿は大正十五年に再建されたものであるが、この小社こそかつての高尾山奥之院そのものであったと伝えられる。

 

富士山

 高尾山山頂(標高599m)付近からの富士山の眺望。

御朱印

 南無飯縄大権現と墨書され、右上の御朱印は、天平16年(744年)聖武天皇の勅令により開山されたということなので、聖武天皇敕願所であろうか。敕は勅の異体字である。

(2021/11/3)