御朱印集め

御朱印集め(21) 鵜戸神宮

御朱印集め(21) 鵜戸神宮

 陽光降り注ぐ宮崎県日南市大字宮浦に鎮座する鵜戸神宮(うどじんぐう)を訪れた。ここは観光目的だけで訪れても地形に変化があり海のそばで心地よく楽しいところだ。昭和の時代には新婚旅行に多くの人が訪れたことだろう。

御由緒

 主要な説明板はすべて撮ったはずだったが、鵜戸の名勝案内や、建築物の案内などばかりで、肝心の御由緒を記したものがなかったので、御朱印授与の際にいただいた参拝のしおりを載せる。

御祭神

 日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)

 頭に五文字付いているが、これまで登場した鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と同じ。父神・母神は鹿児島神宮に鎮座される彦火火出見尊と豊玉姫命を御父君、御母君としており、豊玉姫命がお産の際に、産殿を鵜の羽で屋根を葺き終わる前に生まれたので鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)というお名前となっている。そして鸕鷀草葺不合尊と玉依姫(たまよりひめ)との間に生まれたのが、後の神武天皇で宮崎神宮に鎮座されている神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)である。

相殿神

・天照大御神(あまてらすのおおみかみ)・・・・皇祖神

・天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・・・・天照大御神と須佐之男命の誓約(うけい)で成った神

・彦火瓊瓊杵尊(ひこほににぎのみこと)・・・・天孫降臨された神

・彦火火出見尊(ひこほほでみのみのみこと)・・・・山幸彦

・神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)・・・・後の神武天皇

御系譜

 

境内

一の鳥居

神門

社務所

 

楼門

千鳥橋

 

 このように多くの皇族方が御参拝なさっているだけでなく、昭和天皇の御親拝もある。しかし、定期的に勅使が遣わされないと勅祭社とは言わないということだ。

神橋(玉橋)

 かつては橋の手前で履物を脱ぎ、裸足で参拝されたとのこと。

二の鳥居

 

本殿

 本殿は洞穴(隆起海食洞)の中に建てられている。波の浸食作用でできた洞穴が隆起していまの高さになったところに建てられてたということだろう。

 正面左右に立っている朱色の立札のうち、右側の立札に鵜戸神宮御本殿と書かれているので、拝殿と本殿が一体となって本殿となっている様子。

 勅祭社でなくても、菊の御紋が輝いている。やはり直系の皇祖神であるということだ。神武天皇の御父君である。

皇子神社(おうじじんじゃ)

御祭神

 彦五瀬命(ひこいつせのみこと) 

 鸕鷀草葺不合尊の第一皇子で、神武天皇の兄君。神武東征の最中に、長髄彦(ながすねひこ)の軍勢と戦った際に、敵の矢を受けてその傷がもとで亡くなった。

九柱神社(ここのはしらじんじゃ)

 伊邪那岐命の禊から成った、九柱の神々。四、五、六の神様は特に鵜戸神宮の御祭神と関係が深い。

お乳岩

 豊玉姫命(御母君)と玉依姫命(御妃)は相殿神になっておらず、お乳岩としてしか存在が残されていないので、ここに説明を加える。豊玉姫命は、御父君の彦火火出見尊が海の宮で出会って結ばれ、ここで鵜の羽で屋根を葺き終わる前に出産されるという大変お産が軽かった方なのだが、一方でお産のときには元の姿で産むので決して見ないようにと言っておられた。しかし彦火火出見尊は、豊玉姫命がワニ(おそらく現在のサメ)の姿に戻って産んでいるところを見てしまったために、大変な辱めを受けたということで、産み終わった後、二度とあなたさまにお会いすることはないと言って海の宮に帰ってしまわれた。しかし、豊玉姫命は恋しい気持ちに耐えかねて、妹の玉依姫命を介して御歌のやりとりをされた。その縁あってか、鸕鷀草葺不合尊は叔母である玉依姫命を娶られた。

産湯の跡

授与所

 御朱印はここでいただけた。

亀石

 左下の亀石の背中の輪の中に、運玉を男性は左手で、女性は右手で投げ入れる。5個100円、ひとつも入らなかった。

 亀石の後ろは御船岩、その右隣は二柱岩。

鵜戸稲荷神社

吾平山御陵

 鸕鷀草葺不合尊の陵墓(参考地)があるということで、お墓があるということは、神様ではなく、実在の人間なのだろう。

八丁坂参道

 一の鳥居の前の駐車場は小さく、またその手前の海に面した道路の崖沿いの駐車場も少ししか停められないが、この階段を上った先には、バスも停められる駐車場があるようだ。

御朱印

以上

(2021/11/23)