御朱印集め

御朱印集め(41) 筑波山神社

御朱印集め(41) 筑波山神社

 茨城県つくば市に鎮座する筑波山神社に参拝した。社務所の所在地は、つくば市筑波1番地1である。

 ここを訪れたのは、御朱印集め(2) 鹿島神宮と高天原で最初にご紹介した田中英道先生が、高天原は関東にあった、という説を展開されており、高天原があった場所として、鹿島神宮周辺に今でも残る「高天原」という地名の場所や、筑波山を挙げておかれるからだ。

 鹿島神宮周辺の高天原を探したときには、Google Map上の写真に出てきた高天原という案内板が見つからなかった。しかし、実はそれは筑波山にある案内板の写真が誤って載せられていたということがわかったので、筑波山にある高天原の場所を確認することが今回の御朱印集めの大きな目的だ。7月3日に訪れた際は、熱中症の恐れもあり、筑波山登山道の途中にある高天原までは一度に行けなかったので、7月8日に改めて高天原に絞って再訪問した。

御由緒

御祭神

 筑波男の神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 男体山871mに祀る

 筑波女の神 伊弉冊尊(いざなみのみこと) 女体山877mに祀る

摂社の御祭神

 天照大御神(あまてらすおおみかみ)・・・・ 稲村神社(いなむらじんじゃ)

 月讀尊(つきよみのみこと)・・・・ 小原木神社(こはらぎじんじゃ)

 素戔嗚尊(すさのおのみこと)・・・・ 安座常神社(あざとこじんじゃ)

 蛭子命(ひるこのみこと)・・・・ 渡神社(わたりじんじゃ)

 天照大御神、月讀尊、素戔嗚尊は、伊弉諾尊の禊から成り、三貴神と呼ばれる。蛭子命は、伊弉諾尊と伊弉冊尊の間に最初に生まれた手足のない水蛭子であったのが祀られているのであろう。水蛭子が生まれたのは、女の方から先に男に声を掛けたからだと古事記に記されている。

境内

鳥居

御神橋

 屋根付きの御神橋は珍しい。

楼門

拝殿

 

 鰹木は6本(偶数)、千木は外削。伊勢の神宮の神明造りは、外宮では鰹木が奇数で千木は外削、内宮では鰹木が偶数で千木は内削、と決まっていたが、これは神明造りではないので、伊勢の神宮の決まりにしたがっているわけではないのだろう。

 御本殿は、拝殿のすぐ奥ではなく、男体山、女体山の頂上にある。

さざれ石

 拝殿から振り返ると、さざれ石がある。

 

男体山御本殿

 標高871mの御本殿。

 鰹木は3本(奇数)、千木は外削である。拝殿の鰹木と偶奇が異なる。

御祭神

 筑波男の神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)

女体山御本殿

 女体山の方が、男体山より6m高く、標高877m。

 三角地点。見晴らしがよい。頂上は結構混んでいた。

 

御祭神

 筑波女の神 伊弉冊尊(いざなみのみこと)

天浮橋(あめのうきはし)

 神代の昔、イザナギ、イザナミの二柱の神様が山頂の「天浮橋」に立ち、玉で飾った天の沼矛(ぬぼこ)を下し、かき回したところ、その矛の先からしたたりおちた塩で成った島(オノコロジマ)が筑波山であり、天地開闢の地とされています。と書かれている。

 古事記では、なった島が実際どの島にあたるかは未詳であるとされているが、天浮橋がここにあり、成った島が筑波山なら、茨城県民としては嬉しい限りである。

 女体山頂の御本殿は、鰹木2本(偶数)、千木は内削であることがわかる。これは天照大御神をお祀りする伊勢の神宮の内宮と同じだ。天照大御神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと=男の神)の禊で成ったわけで、女体山頂にお祀りされている伊弉冊尊(いざなみのみこと=女の神)から成ったわけではないのだが、にもかかわらず天照大御神をお祀りする内宮と同じなのはなぜだろう。造りが異なる宮社を比べることに意味がないのかもしれないが。

安座常神社(あざとこじんじゃ)

 女体山頂からロープウェイつつじヶ丘駅に向かう登山道を少し下りて、右に入ったところにある。後方の鉄塔は、筑波山ロープウェイのもの。

御祭神

 素戔嗚尊(すさのおのみこと) 

小原木神社(こはらぎじんじゃ)

御祭神

 月讀尊(つきよみのみこと)

渡神社(わたりじんじゃ)

御祭神

 蛭子命(ひるこのみこと)

稲村神社(いなむらじんじゃ)

 稲村神社は、登山道脇の巨岩に挟まれた狭い石段を登った先にある。

 これが探していた「高天原」の案内板。Google Map上の写真に載っていた縦書き手書きの案内板ではなく、このように新しいものになっていた。

 稲村神社は、まさに高天原というにふさわしい、晴れ晴れとした天上の地といった場所にあった。

御祭神

 天照大御神(あまてらすおおみかみ)

弁慶七戻り

 稲村神社から少し下ると、今にも崩れ落ちそうな巨岩がある。神々の世界と現世を分かつ場所とされてきた石門である。

 筑波山は、日本百名山のなかで高い山ではないが、登山道は大きな岩がごろごろと積み重なったような感じで、東京の高尾山と比べると、ハイキングコースとしてはかなりハードである。スニーカー程度の靴の人をよく見かけるが、よくもこれで登って来たと思う。因みに以前5月のハイキング日和の日に筑波山神社側から女体山に登ろうとしたときは、この弁慶七戻りの手前で人の渋滞が激しく、ほとんど進まなくなっていたのであきらめて引き返したことがあった。

 大きな目的であった高天原を確認することができ、昼過ぎにつつじヶ丘に無事到着し、昼食を注文してからスマホを見ていたら、安倍元首相が撃たれて心肺停止のニュースが入っていた。帰宅後、すぐに天照大御神の神札の前で、何とか一命をとりとめさせてくださいと、天照大御神に祈ったが、祈りも虚しく旅立たれてしまった。日本のために尽くしてこられた安倍さんの行き先は、果たして高天原であろうか、それとも極楽浄土であろうか。公のために尽力された安倍さんには、個人宗教である仏教の極楽浄土よりも、共同宗教である神道が始まった高天原こそがふさわしいのではないかと私には思われる。

 それにしても第一次政権、第二次政権を通じて、多くの日本の安全保障に資する法案を、自らの支持率を削りながら成立させ、各国の首脳から惜しみない追悼の辞が寄せられているにもかかわらず、日本人は安倍さんの業績をまともに知らされていない。これまでモリカケサクラと言った火のない所に煙を立てる式の報道によって安倍さんを貶め、追及してきたマスコミは、世界が賞賛する安倍さんの日本のための業績を正当に追悼特集で報道してほしいものだ。

 安倍元首相を襲撃した犯人は、安倍さんの政治思想に対する不満ではない、と供述しているようだが、大小メディアの偏向した報道に頭が染まり、「安倍には何をしても構わない」と考えていた可能性はある。メディアが安倍さんの業績を自分たちの主観ではなく、客観的に報道し、安倍さんが日本にとって欠くことのできない政治家であることを国民が認識できるようにしていたならば、このような悲劇は起きなかったかもしれないと考えると、メディアの責任は重大であると言わざるを得ない。

 

日枝神社・春日神社

 筑波山神社拝殿の右側にある。

 えびす神の幟が経っており、恵比寿神の御朱印がいただけるのは、開基者が恵美押勝(えみおしかつ)の子であるからということなのだろうか。音が似ているのでそう思うのだが、調べてもそのような関係性は出てこず、常陸七福神のうちの恵比寿神がこちらに祀られているようだ。

 筑波山神社の社務所で御朱印授与の際にいただいたパンフレットには、摂社4社のことは記載があるが、日枝神社・春日神社のことは掲載されておらず、にもかかわらず御朱印がいただけるのはどういうことなのだろうか。もう一度行く機会があったら、社務所でお伺いしてみよう。

右側が日枝神社御本殿、左側が春日神社御本殿(拝殿の奥に並んでいる)。

御祭神(日枝神社)

 大山咋神( おおやまくいのかみ)・・・・須佐之男命の子である大年神が天知迦流美豆比売(あまちかるみずひめ)を娶って生んだ子にひとりでもともと近江国の日枝山(比叡山)に鎮座する神。

御祭神(春日神社)

 武甕槌神(たけみかづちのかみ)・・・・鹿島神宮の神で、国譲りのときに、天照大御神から出雲に派遣された剣豪。

 経津主神(ふつぬしのかみ)・・・・香取神宮の神で、国譲りのときに、天照大御神から武甕槌神とともに出雲に派遣された剣豪。

 天児屋根神(あめのこやねのかみ)・・・・天照大御神が天の石屋戸(あめのいわやと)にお隠れになったとき、出てきていただけるよう祝詞を奏上した神。

ということで天照大御神がいらした高天原で、天照大御神に関係の深い神々が祀られているのではないか。

 天児屋根神の比売神は、調べると、天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)であるとのこと。

 

 帰路、楼門の左右の守護神を振り返った。

 第十二代景行天皇の皇子である倭建命(やまとたけるのみこと)が、東征のおり、筑波山に登拝なされた。

 第十代崇神天皇の皇子である、豊木入日子尊(とよきいりひこのみこと)長くこの地を治められたたとのこと。

御朱印

 

 

 

以上

(2022/7/11)