御朱印集め

御朱印集め(6) 石井神社

御朱印集め(6) 石井神社

 笠間市、次は石井神社だ。笠間稲荷から数分とのことなので歩いて行ったが、クルマで数分だったのでかなり歩いた。

御由緒

 創建については不詳だが、807年(平安時代初期の大同二年)に再建されたと伝えられる。

御祭神

 武葉槌命(たけはつちのみこと)。日本書記などに記述があり、出雲の国譲りや常陸の国を平定した際に、武甕槌神(たけみかつちのかみ=鹿島の神)と経津主神(ふつぬしのかみ=香取の神)に従って活躍した武神で、「開拓(武運)の神」とされている。また倭文織(しずおり=機織り)を伝えていた神様でもあり、織物(芸事・芸術)の神、産業の神としても信仰されている、と書かれている。

 鎮座の由来は以下のように伝えられる。天つ神が豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに=葦原中国と同じ)を平定する際に、この地方を支配していた天甕星(あめのみかほし)だけが従わず巨石となって抵抗したが、武葉槌命は巨石を蹴り飛ばして退治した。割れて飛んだ石のひとつが石井の地に落ち、天甕星の祟りを恐れて武葉槌命をお祀りしたのが石井神社である。

 このように大変勇ましい武神であると同時に機織りも伝えていたというのはなかなか興味深い神様だ。いまふうにいうと、女子力があったのかもしれない。というよりはむしろ、機織りの機械を作ったか、あるいはどこかから持ち込んで来た神様なのかもしれない。因みに、天の岩屋戸の前で、中にお隠れになられた天照大御神の興味を引くために世界で初めてストリップショーをした天宇受売女命(あめのうずめのみこと)が芸能の神として有名である。

御神木

 御神木の大欅は、もともとは二本立ちあったのが、時を経て一方が巻き抱え、一本の大木となったそうである。

境内社

秋葉神社・琴平神社

御祭神

 火之迦具土神は、伊耶那岐神(いざなぎのかみ)と伊耶那美神(いざなみのかみ)が神生みとしてお生みになった十七柱の神のうちの一柱。神々の系譜のなかでも上の方に出てくる神である。

 大物主神(おおものぬしのかみ)は、奈良の三輪山伝説で活玉依毘売(いくたまよりびめ)と結ばれたとされる。また、大物主神と勢夜陀多良比売(せやだたらびめ)との間にできた比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)は磐余彦(いわれびこ=伊波礼毘古命)が初代神武天皇として即位されたときに結婚された。

青麻神社(あおそじんじゃ)

御祭神

・天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)は、天地が初めて発れた(あらわれた)ときに高天原に成った最初の神。

・天照大御神は伊耶那岐神(いざなぎのかみ)が禊で左目を洗ったときに成った太陽の神、皇祖神。

・月読命(つくよみのみこと)は同じく右目を洗ったときに成った月の神。

 ここには登場しないが、同じく鼻を洗ったときに成ったのは嵐の神である須佐之男命(すさのおのみこと)。

 ということでさして目立つ神社ではないが、祭られている神様はなかなかハイレベル、というか最高ランクである。茨城は、田中英道先生の学説で鹿島神宮を中心に高天原が実在した場所とされているのでこのような神々が多く祭られているのだろうか、などと考えてしまう。しかし、まだ御朱印巡りも始めたばかりなので、全国どこに行っても同じなのかもしれないが。

・常陸坊海尊は、Wikipediaによると、時代が下り、源平盛衰記などに登場する僧侶で源義経の家来となった後、武蔵坊弁慶らとともに義経一行と都落ちに同行したとされる。

御手洗

 武葉槌命(たてはつちのみこと)が巨石となった天甕星(あめのみかほし)を蹴り飛ばしたときに割れて飛んだ石のひとつが落ちたのが御手洗である。神社から南方に少し離れたところ、コープの配送センターの手前のこんもりとした森の中にある。立札はあったが御手洗がどれなのかは森の中にまで分け入らなかったのでわからない。

御朱印

 社務所は閉まっている感じだったので、ベルを鳴らすと出てきていただけ、書き置きをいただくことができた。ここには、織物の祖、健脚神とされているので、私の好きなウォーキングの神様となっていただけるかもしれない。

(2021/9/28)