御朱印集め

隼人駅と天降川

隼人駅と天降川

隼人駅

 鹿児島県霧島市隼人町にあるJR九州・日豊本線の隼人駅に来た。ここから田中英道先生の「神話で読み解く日本の起源史 聖地探訪・日本神話の歩き方編」の九州での足跡を辿ることになる。

 ここから、先生のお言葉を要約して引用する。

 隼人という名前は少し誤解されている。2020年に隼人蜂起1300周年という記念日があり、朝廷に反乱を起こした隼人が720年(養老4年)に鎮圧されたということで謀反人のように扱われている。しかし、もっと長い歴史があり、高天原から九州へ天下った天孫降臨という神話は、実際には関東、東北にあった日高見国の人々が九州へ船でやって来たという歴史である。船は現代では遅い交通手段の代名詞だが、古代においては、歩いて行くのに比べ、船は鳥のように速く行くことができ、それを得意としていたのが隼、つまり隼人たちだった。そして、隼人は関東の人たちだった。

天降川

 天降川の見えるところに来た。天降川は、錦江湾(=鹿児島湾)に注いでいる。

 私は中・上流域に来たが、田中英道先生は、天降川の河口に立って次のようなことをお話しされていた。

 天降川は、「あもりがわ」と読むが、本当は「あめふりがわ」と読むべきである。「天」は天孫降臨の「天」であり、「海(あま)」という意味もある。天孫降臨がなぜここに関係があるかというと、天孫降臨は「船で来た」という意味だからだ。鹿島(※1)から鹿児島へ海をたどって来た。猿田毘古(さるたびこ)(※2)という人が船団を導いて来た。天孫降臨したのは瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)という高天原の神、すなわち日高見国の有能な政治家だったと思う。非常に遠くから鳥のように速く来たのでその中の人たちは隼と言われた。

 高天原の人たちがここにやって来たことを「天降(あめふり)」といって、「天(あま)」、いわゆる高天原から「降ってきた」という意味なので、天降川(あもりがわ)は最初の意味が「あまふりがわ」なのだ。

 なぜ「鹿児島」という名前がついたのかというと、鹿児島というのはやはり「鹿島の児(こ)」だから。鹿島を立ち、鹿児島までやって来たということを土地の人も忘れてしまった。しかし「鹿児島県」と名付けたときに誰かがそのことを知っていたに違いない。関東の鹿島から天孫降臨したということ、ここが鹿島の児(こ)の鹿児島だということを知っていたのだ。関東の日高見国から鹿児島に船で天孫降臨し、天降川河口あたりに着いたのだということだ。このように地名として歴史が残っているのは大事なことで、ここに来た甲斐があるということだ。天降川を「あもりがわ」と読んでしまうとそれがわからなくなってしまう。歴史が消えてしまうということだろうと思う。

 先生のお話は以上だが、鹿児島湾に入り、天降川の河口についた天孫降臨の船団は、どのくらいの大きさの船かわからないが、私が訪問したこの辺りまでは遡上して来られたのかもしれないと、その当時に思いを馳せると、神話の物語が、実際にあった史実と思えてくるから不思議のものだ。なお、私が撮影した、緑色の「天降川」の標識のあった地点は、国道223号線から嘉例川駅方向に県道56号線が分岐するところである。

※1「鹿島」については、御朱印集め(2) 鹿島神宮と高天原の項を参照。

※2「猿田毘古」については、御朱印集め(1) 千勝神社の項を参照。

以上

(2021/11/25)