三内丸山遺跡
青森県青森市の中心部にほど近い三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)を訪れた。ここは、世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」として指定されている。
御朱印巡り(2) 鹿島神宮と高天原の項で、『私は(東北大学名誉教授)田中英道先生の「神話で読み解く日本の起源史 第三巻 聖地探訪・日本神話の歩き方」(ダイレクト出版)という講義を視聴したときに、学校で教えられなかった神話の世界が霧が晴れたように目の前に現れた。そしてその神話の世界を日本の現実の歴史とつなげているのではないかと思われる神社をこの目で見たい、と強く思った。』と述べたが、「神話で読み解く日本の起源史 第一巻 失われた天皇史」の中で、神話よりさらに前の日本の古代史に触れられており、その中でこの三内丸山遺跡に言及されている。
三内丸山遺跡は、下記写真の案内板によると、平成4年(1992年)から始まった発掘調査で見つかった、縄文時代前期~中期(紀元前約3,900年~2,200年 現在から約5,900年~4,200年前)の大規模な集落跡とされています、と記載されているが、田中英道先生は、この頃、東北地方の気候は温暖で多くの人が住み、ここで共同生活を営んでいたと仰っており、今回、その場所を自分の目で確かめたく訪れたものである。
遺跡発掘現場
現在でも遺跡の発掘は継続的に行われており、入場後まもなく午前11時から現場説明があるとのことで参加した。そもそも三内丸山遺跡は、新しい野球場を建設しようとしたところ、遺跡が見つかったため、野球場の建設は中止されたとのこと。手作業で少しず土を掘って行き、土の色が周囲と違うところに遺跡があることなどが説明された。写真真ん中辺りの円形の部分は周りの土の色に比べて黒っぽくなっており、これは、もともと何かの目的で穴が掘られて使われていたものが、その後埋まってしまったために、土の色が周囲と異なっている、円形の左半分は発掘済みで、食料の保管庫との説明があったと思う。右側の四角く土の表面が出っ張っているのは、土器のかけらなどが埋まっているところで、周囲の土を四角く削り取ったところである。白く見えるのが土器の破片の上部。
環状配石墓と道路跡
竪穴建物
掘立柱建物
地層断面の展示
発掘した遺跡の地層断面を見ることができる。土器の破片などがある。
大人の墓
大人の墓の発掘状態を展示している。
子どもの墓
大型掘立柱建物と大型竪穴建物
左側のやぐらのような大型掘立柱建物は、出土した6本の丸太の太さと位置から想像して建物を復元したものだが、屋根などは推し量る材料がないということでついていない。田中英道先生は、古代の太陽信仰の祈りの場所で、できるだけ太陽に近い場所で祈るための塔として作られたものだろうと述べておられる。また右側の大型竪穴建物は、大勢の人が集まる集会場で、祈りの場として使われていたのではないかと述べておられる。
また、前述の墓については、集落の生活の場の近くにあって祖先たちと一緒に住むということから祖先信仰があることの現れとされている。
縄文時遊館の展示物
館内には無数の出土物が展示されており、私はこのような遺跡の出土物に詳しくはないが、一目みてレベルが高いものに感じられた。特に薄く加工された石鏃(矢の先につける石の矢じり)には、縄文人の技術の高さを感じた。
土器
土偶
石器
石鏃
漆塗り櫛
発掘プレート
館内のレストラン「五千年の星」で、縄文人が食べていた食材をメニューに取り入れ、食を通じて縄文時代にふれていただこうという趣旨で開発された「発掘プレート」。ごはんの中からハマグリ(貝殻)が出てきたら、ソフト栗夢がもらえるとのこと。栗は縄文人の主食である。
これは大変美味しかった。縄文人がこんなに美味しいものを食べていたとは思えないが、ハマグリや雑穀が縄文人の食材なのだろう。
ハマグリは出てこなかったが、ソフト栗夢はもともと食べるつもりだったので注文した。
八甲田ゴードライン
遺跡から宿への帰路、八甲田ロープウェイに乗り、山頂駅から歩ける八甲田ゴードラインという遊歩道を歩いた。一周60分コースとその半分の30分コースがあり、後者の方を歩いた。因みに八甲田ゴールドラインという道路もあってまぎらわしいが、60分コースが、ひょうたんの形なのでゴード(Gourd)ラインというとのこと。
30分の折り返し地点から池塘の向こうに八甲田の山並みが見える。左から赤倉岳(1,548m)、井戸岳(1,550m 峰が二つある山)、大岳(1,585m 雲に半分隠れているが、八甲田山の主峰)。
以上
(2023/8/26)