御朱印集め

御朱印集め(48) 伊弉諾神宮

御朱印集め(48) 伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)

 昨年、天照大御神をお祀りしている伊勢の神宮へ参拝を果たしたので、今年は、さらに一世代上の伊弉諾大神をお祀りする淡路島の伊弉諾神宮を訪れた。

御由緒

 伊弉諾神宮でいただいたパンフレットによると以下のように記されている。(かな遣いは原文のまま)

 古事記・日本書紀の冒頭にその創祀を記す最古の神社。国生み・神生み始まる御神功を果たされた伊弉諾大神(いざなぎのおほかみ)が、御子神の天照大御神(あまてらすのおほみかみ)に国家統治の権限を委ね、淡路の多賀の地に「幽宮(かくりのみや)」を構へて余生を過ごされた神宅(かむやけ)の旧跡に鎮座する。この地で終焉を迎へられた伊弉諾大神を、その宮居の跡地に神陵(みささぎ)が築かれて、お祭りされたといふ神歴を創祀の起源とする。

 記紀に伝わる国生みの神話(同上パンフレットによる)

 わが国最古の歴史書「古事記」や国史「日本書紀」は天地開闢(てんちかいびゃく)の説話から始まる。「天地(あめつち)はじめて發(ひら)けしとき」に、高天原に造化三神が現はれ、続く神世七代で現れた伊弉諾尊(男神)と伊弉冉尊(女神)に、「この漂へる国を修理固成(つくりかためな)よ」と命ぜられた。

 二柱神は天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天沼矛(あめのぬほこ)で大海原をかき回し、矛の先から滴り落ちた雫が「淤能碁呂(おのごろ)島」となる。

 この島に降り立った二神は、夫婦の契りを結び、国生みの儀式を行ひ、最初に誕生したのが淡路島(淡道之穂之狭別島 あはぢのほのさわけのしま)で、続いて四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州と生まれ、「大八洲(おおやしま)」といふ古代日本の国土が出来上がった。

御祭神

 伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)

 伊弉冉大神(いざなみのおおかみ)

 

 神々のご系譜をその神々が祀られている神宮とともに以下に示す。

 伊勢の神宮以下は昨年までにすべて訪れたので、日本の起源を探す旅は、ここで原点に到達したことになる

 天照大御神が夫婦である伊弉諾大神と伊弉冉大神の間にお生まれになっていないのは、伊弉冉大神が火の神をお生みになったときの火傷がもとで亡くなったあと、伊弉諾大神が黄泉の国からお戻りになって行った禊の際に、左の御目をお洗いになったとき天照大御神がお成りになったためである。

 なお、この二神の夫婦の間に神生みによりできた神は、山の神、水の神、火の神など十七柱がいらっしゃる。

 

境内

大鳥居

 花崗岩製の神明型鳥居としては全国最大級だそうだ。

陽の道しるべ

 伊弉諾神宮は、ひのわかみや(日之少宮)とも称えられるとのことで、伊弉諾神宮を中心とした太陽の運行図が刻まれている。

 真東に伊勢皇大神宮(内宮)、夏至日の出方向に信濃国一宮の諏訪大社、夏至日の入り方向に出雲国一宮の出雲大社があることなどが記されている。鹿島神宮を訪れたときも、参道の向きが夏至の日の出方向になっており、古代の太陽信仰を裏付けるものであろう。

正門

 伊弉諾神宮の正門脇に有村治子参議院議員の看板が立てられているのはさすが国士と感じた。そういえば、大鳥居をくぐったところにあった掲示板には、織田元空将の講演会のポスターが掲示されており、国土が初めて生まれた地で、現代の日本を守ろうと頑張っている方々のお顔が見られるのは意義深いことと感じた。

拝殿

 参拝後、御朱印をいただいている間に憲法改正の署名を行った。

本殿

 これだけ本殿がよく見えるのは珍しく、ありがたく拝見させていただいた。

住吉神社・鹿島神社

 住吉神社は、すみの江とふりがながふられていた。

御祭神

 住吉神社 住吉三前神

 鹿島神社 武甕槌神(たけみかづちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)

 農業(稲作)守護と武運長久を祈願して祀られた。田植祭では神事がある。

左右神社(さうのじんじゃ)

御祭神

 天照大御神(あまてらすのおおみかみ)

 月讀尊(つきよみのみこと)

 伊弉諾大神の禊で左目から出現された天照大御神と、右目から出現された月讀尊を祀る。本殿東の伊勢皇大神宮の方向に位置し、眼病治癒の信仰がある。

 

夫婦大楠

 樹齢900年の古木で、二株であったものが合体して一株に育った。

 

岩楠神社

 夫婦大楠の根元に祀られ、子孫繁栄、夫婦円満、延命長寿の信仰が篤い。

御祭神

 蛭子命(ひるこのみこと)

 伊弉諾尊と伊弉冉尊から最初に生まれたが、手足のない蛭子だったため、二神は悲しまれ葦の舟で流された。

淡路祖霊社

 明治八年に創祀された。淡路出身の先賢と明治維新屯田兵従軍、日清、日露、大東亜の戦役で歿した英霊並びに伊弉諾神宮歴代の祀職を祀る。

樋口季一郎中将の像

 日本がポツダム宣言受諾後、ソ連がカムチャツカ半島から日本領であった占守島(シムシュ島)を侵略してきたが、樋口季一郎中将隷下の陸軍第五方面隊の必死の反撃戦によりソ連軍をしばし足止めしたことにより、日本は北海道をソ連に取られなくて済んだ。その樋口中将は淡路島出身だったのだ。樋口中将は、多くのユダヤ人の命を救ったことは知る人ぞ知るである。これらの史実を教科書で教えてほしいものだ。

御朱印

 中央の御朱印は、幽宮(かくりのみや)である。

 

以上

(2023/6/10)