旅行記

スイスハイキング旅行2

スイスハイキング旅行2

 

 今回は、スイス夏旅行の仕上げとしてベルニナ急行、氷河特急を乗り継ぎスイスを横断する旅とした。イタリア・ミラノから入り、サンモリッツとツェルマットでハイキングを行うのが主要アクティビティだ。経過地の予定だったミラノは飛行機の到着時間が朝となったことで一日観光の時間が取れ、そのため海外旅行前にはその国の言葉を勉強するという我が家のポリシーにしたがいイタリア語もわずか2週間だが勉強していった。わずか2週間となったのは、その前までドイツ語検定試験の勉強をしており、試験終了後にイタリア語モードに切り替えたためである。

 

第1日 羽田からパリへ

 エアフランス夜便のため、羽田からの出発。羽田までの電車の中では以前に勉強したフランス語のノートを復習する。機内で使うだけなので、赤(白)ワインをください、コーヒーをください、くらいのごく簡単なことだけをチェックする。空港到着後長旅に備えて足のマッサージをし、最後の和食を食べ、AF293便、22:55出発。

 

第2日 パリ乗り継ぎでミラノへ

 12時間半のフライトでパリ・シャルルドゴール空港に4:25到着。夏時間で日本との時差7時間なので日本は11:25だが、深夜発のフライトは離陸後の機内食(夕食)後、着陸前の機内食(朝食)までの間、意外とよく寝られたので、あまり疲労感はない。Transferの表示にしたがって進もうとしたが搭乗券を示すとミラノはTransferではない方に行けと言われ、先に進んで入国審査の列に並ぶ。そうかEU外、アフリカなどに乗り継ぐ際には入国審査なしでパリを通過するTransferの方に行くのかと納得。

 コーヒーを飲んで少し休憩後AF1212便で7:25出発。これは1時間半ほどの短距離路線で、エアフランス傘下のLCCであるHOP!により運行され、機内のヘッドレストカバーはなんとなくリゾート地っぽい雰囲気で乗客もビジネスというよりは観光客の方が多い感じだ。日本人は他には気が付かなかった。座席はひとり1,200円オプション料金を払って、3-3配列の通路側のD,E席を指定してあったのだが、搭乗口のところでB,C席に変更された。乗り込むとA席は小学校低学年くらいの褐色の肌の女の子で客室乗務員さんが、不安がないようにいろいろ世話を焼いている。D,E席になったのは大男2人だったので、子どもに圧迫感がないよう無害そうな日本人2人に変更したのだろうか。しかし、航空会社の方で変更しておきながら、座席についてから2度も搭乗券を見せさせるのはいかがなものだろう。写真はミラノ行きの機体。

 8:55ミラノ・リテーナ空港着。入国審査はパリで済んでいるのでここでは必要なく、荷物はパリでは積みかえられているだけなので税関を通っているのかわからないが、ここでは税関を意識せず外に出る。

 リテーナ空港からホテルまでは荷物が多く、この日の行動への体力温存のためタクシーを利用。屋根に白地のTAXI表示があるものなら安心ということなので、バスなどは使わなかった。ここからイタリア語モードに切り替え、Ci porta a Hotel Ibis Milano Centro, per favore! (ホテル イビス・ミラノ・チェントロまでお願いします)と言う。にわか仕込みでも大きな声で自信をもっていうところがポイントである。イビス・ミラノ・チェントロは5つあるがどれか?と聞かれたのでそんなはずはないと思いながらも、アドレスを見せる。

 ミラノ中央駅近くにあるホテル、イビス・ミラノ・チェントロには30分もかからずに9時半頃到着。スマホで地図も見ていたが怪しい動きはなく、メーターは19.5ユーロだったのでチップを加えて22ユーロを支払う。ミラノのタクシーは右側センターピラーの内側にタクシーライセンスの通し番号らしいものがこの後乗った全てのタクシーにも表示されており、タクシーにはあまり身構えて乗らなくてもよさそうだった。

 ホテルのチェックインは14時からなので、荷物だけ預けることにする。ここで今日の行動に不要なものを整理していたら、やってしまった、眼鏡2個入りの眼鏡ケースを羽田→パリ便のシートポケットに忘れてきたことを発見。これは、メールででも連絡しておけば帰りにパリ・シャルルドゴール空港で受け取れるだろうと気を取り直す。

 さて、ミラノでの最初の観光ポイント、ドゥオーモに向かう。外務省海外安全情報で、ミラノの地下鉄のスリ団に注意と出ていたのでどうしようか、リパブリック駅まで10分ほど歩いて2駅でドゥオーモだが、ホテルの外にちゃんとしたタクシーがいたら乗ってしまおうと思っていたら白地の行灯のタクシーがいたので乗ってしまった。チップ加えて20ユーロ。空港からホテルまでよりは近い感じなのに、料金はあまり変わらない。これも回り道をしている様子はない。

 ドゥオーモとは、イタリアで街を代表する教会堂のことだそうで、これはミラノのドゥオーモだ。壮大なゴシック建築で中に入ると広大な空間にきれいなステンドグラスなども見られるとのことだが、日曜日の午前中はミサがあるとのことで、今回は正面から見るだけ。

 この建物の前のドゥオーモ広場で、肌の色が真っ黒に見えるような黒人が近づいて来た。色のついたひもを持っているので怪しいと思い最接近される前にノーといって離脱。もしかして怪しい人ではなかったかもしれず友好的に話しかけて来たのだったら悪いことをしたかな、などと思ったのがいけなかった。

 それから写真撮影をしたりしてふと気が付くと今度は別の黒人、というか黒人の顔の見分けはつかないので同じ人かもしれないが、さっと近寄られて手首にカラーひもを巻きつけられフレンドなどといいながら縛られてしまった。まずいと思ったが拒絶のタイミングを失し、もう1本はあなたの家族の分とか言いながら、巻きつけて縛って、ぷっちんとニッパーのようなハサミで切られてしまった。そのときには背の高い屈強そうな黒人3人に取り囲まれてしまい、金を払わざるを得ない状態に。最も低額の紙幣10ユーロを渡したのがまずかった。2本だから20ユーロとか言われて巻き上げられてしまった。こんなひも1本が1,200円もするはずないのに、なんとなく額面10というと中国の10元札(約160円)くらいの安い印象があり、出してしまった。コインで十分というか、そういう問題ではなく、初めてのイタリアの環境で全く見慣れぬ黒人にとっさに対応が取れなかったのが悔しい。

 「30日で話せるドイツ語会話」には助けて!騙された!など助けを求めるフレーズが載っていたので、ドイツだったらHilfe!と叫べたかもしれないが、「30日で話せるイタリア語会話」には、そういうフレーズは載っていなかった。30日で話せるシリーズは、要領よくまとまっていて学習しやすいので愛用しているが、こういう必須フレーズが言語によって載っていたりいなかったりばらつきがあるのは困ったものだ。まあ、英語でHelp!と叫べばよかったのかもしれないが、そのときは助けを求めようという発想にならなかった。妻は少し離れたところにいて何を捕まっているんだ、助けに行って巻き込まれて被害を拡大してもと思って遠巻きにしていたそうだが、あとで何をやっているんだとなじられてしまった。面目なし。

 これまで黒人に対して差別意識などは別に持っていなかった、というか差別してはいけないという意識は持っていたが、その意識が却って災いしたかもしれない。どんな人種でも悪いやつはいる、ということだ。ガレリア(アーケード)の通路を歩いていたら日本人の女性旅行者から、あそこにいる(白人の)女の子3人のグループはスリですから近づかないようにしてください、と注意されたのはそれから数分後のことだった。

 ミラノの観光ポイントは多々あるが、モードの発信地であるミラノでの買物を妻は楽しみにしており、この日は日曜日で多くの店は閉まっているが、ドゥオーモの隣にあるデパート、ラ・リナシャンテは開いているということで次にここに入る。さすがミラノ、雑貨などもしゃれたデザインのものが多く、ここで子供や孫へのお土産を買う。雑貨の他、イタリアン・フードの代表のひとつであるリゾットを作るための専用のコメなども買う。日本のコメと違ってパスタと同様アルデンテで美味しい種類のコメだ。因みにNHKの「旅するイタリア語」によると、ヨーロッパのコメの60%はイタリア北部の地域で生産されているとのことだ。チコリが入ったものやアスパラガスが入ったものなど小袋をいくつかと乾燥キノコ(ポルチーニ)も買う。

 買物は妻は得意でも私は苦手なので結構疲れ、お腹も減ってきたので9階の食料品売り場の隣にあるレストランをのぞくが、食べようと思っていたパスタもリゾットもないのであきらめ、ドゥオーモ広場周辺のレストランに入る。外の席がにぎわっているが、外だと荷物の監視も大変だし、暑いので中の席にする。イタリア語のメニューをながめると、食べたいのはスパゲッティ・カルボナーラと先の「旅するイタリア語」で出て来たミラノ風リゾットのふたつなのでこれはすぐに発見。ただし、リゾットの方はリゾット・ミラネーゼのなんとか添えで、英語の併記を見ると仔牛のなにかであることがわかった。注文を取りに来たので、これとこれとか言わずにイタリア語のメニューを読む形で注文、ウェイターが復唱するので、これまで2年間勉強してきたドイツ語でJa!(ヤー=はい)と言ってしまい、すぐにイタリア語でSi!(スィー=はい)と言い直す。この旅行では何度か、Ja!,Si!をやってしまった。

 カルボナーラは日本で食べるのと特に変わりなかったが、リゾット・ミラネーゼ(写真)はサフランで色付けしたきれいな黄色で、アルデンテな食感が初めての感覚だった。悪くいうと炊くのに失敗した芯があるごはんをおかゆにしてしまった感じだが、正直に言って美味しかった。ちょっと塩っぽいがもう一度食べたいと思わせる美味しさだ。仔牛は骨付き肉を煮込んだものでとろとろにやわらかくこれもまた美味。なお、リゾットやパスタを頼んでもパンは無料でついてくる。上の写真のピンクの布袋に入っている。日本人は餃子にご飯、ラーメンライスなど中国人から見ると主食に主食をつけると言われるが、イタリア人も主食に主食をつけており、コメ文化の共通性だろうか。

 買物で荷物が増えたので、タクシーを呼んでもらう。外で待っていろと言われて佇んでいるとレシートのような紙を渡され、この番号のタクシーが来るとのこと。ちょうど来た時にタクシーを降りた辺りで待っていると、やって来たタクシーのナンバープレートの番号体系とは全然異なるが、ドアにその番号が書いてあったのでそれとわかる。わりと短い番号だったのでミラノのタクシーの統一的なID番号ではなく、そのタクシー会社の番号だったのだろうか。因みに中国でスマホアプリからタクシーを呼ぶときに表示されるナンバーはナンバープレートの番号の全桁だった。

 ホテルに戻ってチェックイン。Io sono 〇〇.(私は〇〇です)と名前を言う。どこでも言葉が通じなくてもパスポートを出せばチェックインはできるが、こういうときにはせっかく勉強したものは使わなければ。ドイツ語にしてもイタリア語にしても話者数はそれほど多いわけではなく(ドイツ語は町田健著・世界言語地図によると全世界で1億2千万人)、これらの国の言葉を話せる人はネイティブの話者とヨーロッパで相互に行き来する人たちが話すくらいであろうから、日本人が少しでも話すと珍しいらしく、イタリア語を話すのですね、などと言ってもらえる。すかさずSto studiando l’italiana.(イタリア語を勉強しています)と返す。その後イタリア語でなにか言われて先が続かなくても気にしない。

 部屋はきれいだがかなり狭い。ツインとしてはぎりぎりの広さでスーツケースを2個開けて広げると足の踏み場がわずかになる。日本のホテルも狭いと言われるがイタリアのホテルも狭い。値段相応の広さだとは思うが。因みに中国のホテルは300元(5,000円弱)を切るようなホテル(三ツ星級)でも無駄に広いことが多かった。出張で泊まったある地方のホテルは部屋のなかでバドミントンができそうなほど広いと思ったものだ。何はともあれ、お土産類を別バッグに入れ、着替えてしばし休憩。

 夕方になって私が行きたかった国立レオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館に行く。ダ・ヴィンチの考案したものの木製や金属製の模型がいろいろと展示されていてとても興味深い。ダ・ヴィンチ以外のもの、たとえば、マルコーニが始めた無線電信の黎明期から現代にいたるまでの通信技術の推移などは、その関係の仕事をして来た私にとってとりわけ懐かしく感じるものでもある。

 空を飛ぶ機械のプロトタイプか?

 

 何かの実験装置。円錐形の部分から音を入れると羽根車が回転するとか。音の高さや大きさによって赤と黒の錘の移動方向が変わるのかも。

 以下はダ・ヴィンチから離れ、通信技術コーナー。

 最初のモールス電信機。

 模写装置か?模写電送装置(ファクシミリ)とまではいかないか。置かれている原稿は漢字だ。

 各展示物の説明をその場で読むのでは時間がかかるので、もう一度来る機会があるなら予めこの博物館の所蔵品の解説書を読んで来よう。そうすれば、正しく深くみることができるだろう。

 ミラノの市電(トラム)は、レトロでとても可愛い。いろんなタイプが走っている。

 

第3日 ベルニナ急行でサンモリッツへ

 ホテルの朝食は、コーヒーを自分で入れるタイプだったので、コーヒーマシン(エスプレッソマシン)で、ここのところイタリア語の勉強で、がっかりしているのに軽妙な語感で気に入っていた「エーッ、エコズィ ピッコロ!?」(えーっ、こんなに小さいの!?)を体感するためにエスプレッソとルンゴ(お湯の量が多いエスプレッソ)を両方入れてみた。

 小さいカップがエスプレッソ、大きいカップがルンゴだが、ルンゴでもカップを大きくしただけで中身の量は多少増えた程度。ふつうのカフェではルンゴ・ルンゴと繰り返すとお湯の量がどんどん増えるとのことなので、量が物足りない場合は試してみるとよいかも。

 ミラノ中央駅は、いたるところ重厚な壁面に彫刻や絵画があしらわれた芸術品だ。列車発車案内の電光表示板も石枠の中に設置され上方には絵画がある。

 イタリアはデザインの国、私たちがこれからティラーノまで乗って行く近郊列車も流線形で格好よい。

 2時間半ほどかかって乗換駅のティラーノに到着、カフェで頼んだピザがなかなか来ず、けっこうぎりぎりの時間にベルニナ急行に乗り込む。ここはレーティッシュ鉄道のティラーノ駅で、これまで乗ってきた近郊列車のティラーノ駅とは隣接しているが別の駅だ。駅舎に入ると「ティラノ」と日本語で書かれた看板があり、「寄贈 姉妹鉄道 箱根登山鉄道株式会社」と記されていた。

 ベルニナ急行の車内は窓の上方をガラスにして視界を広く取ったパノラマ車両で、かつ陽射しをさけるためのスクリーンが電動で開閉できるようになっている優れものだ。

 さて、ベルニナ急行と言えばあの石造りのループ橋だ。ティラーノからサン・モリッツ方面に向かう場合には地図で見ると左巻き(反時計回り)なので、進行方向に向かって左側の席を予約できないか旅行会社に聞いていたのだが、指定不可能(運任せ)とのことで、右側の席だった。以下に右側の席から撮った写真を示す。

 まずループ橋のアーチをくぐる。ここでは右巻きのように見えるが、くぐった後は左巻きに進むのだ。

 ループをほぼ一周して石橋の上部を渡るところと渡り切るところ。これは右側の座席に座ったまま左側の車窓から撮ったので柱が写ってしまった。柱の写り込まない瞬間を取りたくても、先頭車両と自分の乗る最後尾車両はつながっており、柱も当然つながっているので、一定の曲率半径のレールを進んでいくと相対的な位置関係は変わらず、どうしても柱は写ってしまうのだ。ズームにすると最後の写真のように柱は写らないが、全体の様子がわからなくなってしまう。

 残念なことに写真やテレビで見た、美しいループ橋を渡るベルニナ急行という素晴らしい写真は撮れなかった。左側の席に座っていても大差なかったと思う。やはり、こういうものは列車の外で少し離れたところから撮らないとだめなのだ。ただ、幸いなことに最後尾車両だったため、先頭車から順にとぐろを巻くように走っている様は実感できた。

 列車は高度を上げ、美しい景色の中を走り抜け、やがてサンモリッツ(標高1775m)に到着。

 サン・モリッツは高級リゾートということなのだろうか、人があまりおらず、整い過ぎている感じもする。ホテルハウザー(Hauser)にチェックインし、広~い部屋に満足し、15分ほど歩いてサンモリッツ湖に行く。そこには絵葉書のような美しい景色が広がっていた。左から右に視線を移しながら写真に収める。

 ホテルへの帰路、面白いデザインの公衆トイレがあったので入ってみた。

 

 外観は前面の全面にまるで道路からつながっているように見えるかのような街の写真があしらわれ、内部は青い照明の不思議な空間である。

  夕食は宿泊しているホテルの1階にあるレストラン・ハウザー(Hauser)でピエダという名の石板焼肉を注文する。厚さ2~3cmの石板の上で、肉、海老、野菜などを焼いて食べるのだが、鹿肉が絶品であった。鹿肉は臭みなどなく牛肉に近い色合いと味だったが、仔牛は豚肉のような食感だった。また焼くものを好みで選ぶこともできるので海老を組み合わせることができたのがよかった。石板の上に岩塩をガリガリと振りかけてから具材を載せるのも面白い。隣のテーブルの家族連れのうち長女を思しき少女が自分が食べることよりもこちらのテーブルにずーっと注目していたのが印象的だった。日本人にとっては鉄板焼きのバリエーションだが、彼女にとってはきっと見たことがない食べ方であったのだろう。ここでも残念だったのは、鉄板焼きのたれが、3種類全てマヨネーズベースのものだったことだ。昨夏にグリンデルワルドでフォンデュ・シノワーズを食べたときもこれは鍋の一種なのだが、16種類もたれがあるのにどれもあまり口にあわなかったのだ。前回も今回も焼肉の醤油タレか胡麻ダレを出してほしかった。次回からは旅行のときは醤油ベースの調味料をポケットに忍ばせて行こう。

 因みに具材の載せられた大皿に材料毎に具材名を示す旗が立っていたのは日本人のように芸が細かいと感じた。

 

第4日 サンモリッツでハイキング

 この日は前半のメイン・アクティビティで、サンモリッツ周辺のハイキングだ。プント・ムライユのケーブルカー駅(1728m)に着くとサンモリッツの街中の人の少なさとは異なり、切符売場にはかなりの行列。地名はなんとなくイタリア語っぽいところも多いこの辺りだが、駅の案内はドイツ語なので、10分ほど並んで、窓口で「Zwei Erwachsenen einfach, bitte!」(大人2人、片道お願いします)と言うと、それ持ってるなら切符は要らないと、私が胸にぶらさげていたパスポート入れに入れたカードを見て言われた。二人とも持っているならそのまま入れと。

 冬のスキー旅行の際にパスポートを落としたのに懲りて、今回パスポートをいつも同じ場所にしまえるようにしたのだが、表面の透明の部分にホテルチェックイン時に貸与されたカードを入れておいたのが思わぬところで役に立った形だ。この周辺のバスにフリーで乗れる程度の説明はあったのだが、有効範囲を明確に説明されることはなく、またそういう説明書きもくれなかったので、どこまで使えるのかなぁ、とは思っていたのだが。

 このケーブルカーの傾斜は相当なもので、この先の一番急なところでは、つかまっていないと後ろに倒れそうになるくらいなのにつかまるところがあまりなく、かなりの身体的緊張を強いられた。終点のムオタスムライユ(2458m)に到着するとそこからはサンモリッツ湖をはじめとするいくつかの湖が点在する素晴らしい景色が見晴らせる。

 ここがハイキングのスタート地点で約7km、標準時間2時間30分の初心者向けコースをのんびり歩く。

 写真左側の小道を下り、写真中央付近で小川を渡り、写真右手に向かって小道を上がることになる。所々に咲き誇る高山植物を眺めながら、上り下りし、ウンター・シャフベルクの山小屋レストラン(2230m)に到着。

 少し離れたところにあるトイレから戻って来た妻にどうだったか聞くと、難易度が高かった由。鍵がかかっていて、どうしようかと思っていたら後からきた若い女の子が小屋まで行って取ってきてくれた。中は、今井通子さん著の「マッターホルンの空中トイレ」という山のトイレ事情のエッセイに載っていたようなトイレだったとのこと。

 私も食後に行ってみると、男女共用のひとつのドアの前に7,8人が並んでおり、しばらくすると前の人から鍵が回って来た。最後の人が小屋に返してくださいとの伝言だったので、しばらくして後からきた小さい女の子を連れた母親に英語でそれを伝えると、女の子がいま何を話したの?とたずね、母親は英語でお話ししたのよ、英語は世界で多くの人が使っているからねというようなこと(多分そう)をドイツ語で話していた。順番が来て中に入ると、洋式トイレで、1~2m下が岩の斜面になっており、上流から常にさらさらと水が流れている。底面には何も滞留しておらずきれいなものだった。でも落ちたら大変なので子どもは要注意だ。

 ここからは上りとなり、終点のアルプ・ラングアルト(2325m)には3時少し前に到着。去年は8月上旬にスイスに来たが、今年は7月中旬で高山植物は随所に咲き誇り、一番良い時期だったと思われる。

 ここからチェアリフトでポントレジーナまで一気に降りる。これはかなり地上高が髙いペアリフトでセーフティーバーはあるものの高所恐怖症の私にはあまり気持ちのよいものではなかった。屈曲部では相当揺れた。このリフトもあのカードでフリーパスだった。

 リフトは昔からの山岳リゾートと呼ばれるポントレジーナの街のメインストリートのすぐそばに着く。ここからはバスかレーティッシュ鉄道でサンモリッツに戻るのだが、バス乗り場はよくわからないので、Google Mapで鉄道の駅を探し、20分ほど歩いて行った。途中でサンモリッツ行きのバスに追い抜かれ、このバスがポントレジーナの駅で折り返して来たのにすれ違い、16:01発の電車が入って来たところだった。スイスの鉄道は切符なしで乗ると無賃乗車で罰金など厳しいらしいので、例のカードで乗れるかどうか切符販売窓口に聞きに走り、OKとわかったが、今度は向こう側のホームに行くのにこれから乗ろうとする電車が邪魔をしていて、地下道も跨線橋もなく、線路横断禁止の看板を気にしながら、電車の一番先頭まで大廻りする形でなんとか間にあった。やれやれ。10分でサンモリッツに到着。疲れたのでタクシーでホテルに戻る。

第5日 氷河特急でツェルマットへ

 駅まではホテルのバンで送ってもらい、氷河特急(Glaicier Express)に乗り込む。これも座席の左右希望は認められず、進行方向右側の座席である。9:15発の予定が10分ほど遅れ、走り始めてからもゆっくり走ったり止まったりで不調である。もともと世界で最も遅い特急というキャッチフレーズでサンモリッツからツェルマットまで8時間の予定なのであまり気にはしない。

 私たちは4人掛けシートの窓際に向かい合って座り、妻の隣は中国人の男の子、私の隣はその子の母親で、その後方にその女性の女友達とその息子、前方には年配の女性、と私は思ったのだが、妻によると、女友達と思ったのは隣の男の子の母親で、女友達の息子は隣の男の子の兄弟、母親と思ったのは祖母、年配の女性は曾祖母だったらしい。祖母だと判定したのは、手の甲の肌合いからその年齢を感じ取ったとのこと。男の子はランチマットの上でフォークで何かのプラスチックのひも状のものを切ったりしていたが中国人ファミリーにしては一時を除いてわりと静かだった。隣の人も礼儀をわきまえた人だったのでよかった。この家族は一番若い女性(男の子の母親)以外は英語は全くできないようだったが、自分以外4人の家族を団体旅行ではなく単独でスイス旅行に連れて来た若い女性はやり手の富裕層ではないだろうか。

 名前は氷河特急だが、いまでは車窓から氷河は見えない。しかし、景色は全線にわたってよい。有名な高さ65mの石橋(ラントヴァッサー橋)を通過するシーンはこれだが、やはり柱が邪魔。

 クール(Chur)に着いたときには55分遅れとなっていた。ここで折り返して列車の進行方向は逆になり、ツェルマット到着までこの向きは変わらなかった。こういう列車の乗るときは、旅行ガイドブックに載っているような景色を期待してはいけないということがベルニナ急行、氷河特急を通じてよくわかった。橋の下から、あるいは上空から列車が通過する様子を俯瞰するような方向からは車内にいては絶対に見られないのだ。なので絶景の写真を撮ろうと必死になってはいけない。また窓ガラスに写り込む車内の人や物を排除することは困難だ。のんびりと車窓の景色を眺めるのがよい。

 今回氷河特急でのお楽しみは、車窓の景色の他にランチがある。8時間もある車中ではランチが必須となり、車内で調理された料理が自席で楽しめるのだ。このランチは予約をしておいた方がよいとのことなので、旅行会社を通じて手配しようとしたところ予約手数料がひとり2,160円もかかることがわかった。これで日替わりランチかメインとサラダ/スープ、デザートなどの組み合わせを選べるとのことだが、メニューの具体的な中身はわからない。そこで自力で予約をできないか氷河特急のウェブサイトを見たところ、直接予約をできるようなページは見つからず、それでもセールス部門に連絡できるようなEメールアドレスが見つかった。そこにメールをするも不達となったため、さらに関係しそうな別のアドレスにメールを書いて尋ねたところ、sales@panoramic-gourmet.ch にメールで、乗車日、号車、座席番号と名前を連絡すれば予約ができることがわかった。最初にメールしたアドレスは1文字ミスタイプされたアドレスがウェブサイトに載っていたのだった。予約手数料はかからず、支払は現地(車内)でキャッシュもしくはクレジットカードでできるとのことだった。何を食べるかはドイツ語/英語のメニューを見てもすぐにはわからないので、同サイトからダウンロードして、食べたいものや飲むワインの種類も選定。しかしこのメニューはアラカルトメニューしかなくコースメニューがないため、再度メールで問い合わせるとコースメニューもあるので、どちらでも現地で選んでくださいとのことで内容はわからず。

 さて、車内で配られたメニューはネットでダウンロードしたものと同じ内容、日替わりランチメニューも配られたが、予め決めていたアラカルトメニューから注文した。ワインはサンモリッツでは赤を飲んだのと、暑い昼間は白ワインという気分で白とした。因みに天井近くまで窓になっているこの車両は停車中などはクーラーを切るのと、ベルニナ急行のような電動遮光スクリーンがなく、太陽光線を直に受けるためかなり暑い時間帯が多かった。つばが広い帽子を被るのがお薦めだ。私はあまりに暑かったときは上着を頭から被って直射日光を避けていた。

 

 ワインはボトルで頼んだので、倒れないように窓際の専用置場のフタを開けてそこにおいてくれる(ゴミ箱かと思っていた!)。あとで他の席を見たら、欧米人の4名グループでワインを頼んだところはワインクーラーらしい容器をテーブルの上に置いてもらっていた。サラダはスモール・サラダにしてはずいぶん大きくて食べ応えがあった。

 メインはハンガリー風の仔牛のシチュー。味の方はふつうだったが、何といっても車窓の美しい風景を見ながら微発泡のスイス産白ワインのグラスを傾けるというのが最高だった。

 スイス産ワインは生産量が少なくほとんど自国内で消費されてしまうらしいが、スイスに行ったら是非お試しを。飲み物はあとで廻ってくるというのでデザートの注文もあとでよいかと思っていたら、隣の日替わりランチではデザートが運ばれてきたが、こちらは注文のタイミングを逸してしまった。しかし、ワインの大びんを1本ふたりでゆっくり飲んでいたのでデザートはなくてもいいという感じではあった。あとで廻って来た飲み物はペットボトルの飲料類だった。一時は相当遅れていたが、終点のツェルマットには16分遅れまで回復して到着。

 氷河特急を降りツェルマットの駅前からゴルナーグラート鉄道(Gornergrat Bahn)のツェルマット駅を見たところ。ツェルマットはサンモリッツと異なり、人が多くて活気がある。

 チェックインした駅前通りに面したホテル テスタ・グリジア(Testa Grigia)は、部屋は狭いがマッターホルン・ビューだった!

 ベランダの手すりには生まれたばかりのような羽根が柔らかそうな小鳥の子どもがとまっており、カメラを向けても逃げない。

 そろそろスイス料理にも飽きて来たし、昼は氷河特急でワインを1本空けたので、夜はレストラン・将軍(Shogun Japan Restaurant)でちらし寿司に日本ビールとした。このちらし寿司は山の中なのに具材が新鮮で種類も多くなかなか美味しかった。日本の方がやっておられたので、翌日からの乗り物のパスについて販売場所などを教えてもらう。

第6日 ツェルマット・ハイキング

 起床時のマッターホルンは朝日を受けて黄金色に輝いており、雲ひとつない晴天だ。 

 この日は後半のメイン・アクティビティである、ブラウヘルト~リッフェルアルプ間のハイキングを行う。これから2日間の行動は、ツェルマット周辺の交通手段を多用するため、バラで買う場合とピークパス(Peak Pass)という、〇日間乗り放題チケットのどちらにするかが課題だったのだが、前日に駅前の観光案内所でもらったパンフレットで料金を比較するとやや不明なところもあるものの、2日間のPeak Passにする方が得だとわかっていたので、駅前の観光案内所の開店時間の8時前に行って開門を待った。

 Wir möchten zweimal zwei Tagen Peak Pass. (2日間のピークパスを2枚ほしいのですが。)と言うと  Heute, und morgen?(今日と明日ですか?)と聞かれたので、 Ja, heute und morgen(はい、今日と明日です。)と答え、ついでに日付も言う。ところが提示された値段が調べて行ったのよりだいぶ高いのでおかしいと思い、Wir haben Swiss half fare card.(スイスハーフフェアカードを持っているのですが。)と交通機関によりにより50%引きになるカードを再度提示して言うが、それはわかっているとのこと。

 そこで、前日この案内所でもらったパンフレットのページの該当箇所を指し示したが、これは、up from CHF167.00となっているので、季節によって料金が異なるということだった。私もup from~の意味はなんだろうと思っていたので、それなら納得ということで、バラで買うよりは安くなっていたのでその金額で購入した。結局ICカードのデポジットCHF10.00込みでCHF151.00だった。バラで買ったときの合計はCHF168.50。スイスハーフフェアカードの割引率は、この区間では50%なので、割引なしで買うと、デポジット別でCHF282.00もしたのだろうか?あるいは、ピークパスは割引率が異なり25%とするとCHF188.00となる。いまさらだが、公式サイト(https://www.matterhornparadise.ch/en/Current-news/Lifts/Tickets-tariffs/Peak-Pass)を調べるとStarting Priceというよくわからないことが書いてあり、Calculatorという計算機能で8月中の2日間の価格を調べるとCHF195.00のところがネットで買うとCHF185.00と出てくる。とすると、およそ25%相当くらいの割引になっているようだ。スイストラベルパスは利用区間により25%割引になるので、25%という割引率があるのかもしれないと考えたのだ。

 また、ふつうこういうパスは紛失すると再発行されないが、ここではシリアル番号の入ったレシートをくれ、もしなくしたらこれで再発行できるとのことで親切だ。

 

 

 ここで、この観光案内所でもらったツェルマット周辺のハイキングコースや交通手段を示した絵地図(夏バージョン)を見てみよう。裏面は冬バージョンでスキー用になっている。

 行動概要は、ツェルマット(Zermatt 標高1620m)の街(地図中央下部)から地下ケーブルカーでスネガ・パラダイス(Sunnega 2288m)に上がり、ゴンドラでブラウヘルト(Blauherd 2571m)に上がる。元の計画はロートホルン・パラダイス(Rothorn 3103m)まで上がるつもりだったのだが、この夏は工事運休だったのだ。そして、ブラウヘルトからは3つの湖を経て、ゴルナーグラート鉄道のリッフェルアルプ駅(Riffelalp 2211m)までの初中級向け8.2Km約2時間20分のハイキングコースを歩く。そしてここからはゴルナーグラート鉄道でツェルマットに降りる。3つの湖のうち、1番目、2番目の湖で湖面に映る逆さマッターホルンが見られるかどうかがポイントだ。

 ツェルマット駅前も朝8時頃は、人影も少ない。停車しているのは電気自動車のタクシー。ツェルマットは、ガソリン車乗り入れ禁止なのだ。ゴルナーグラート鉄道のツェルマット駅の右側に沿って走る道路をしばらく歩き川にかかる橋をわたって左折するとスネガ・ケーブルのツェルマット駅に着く。長い地下トンネルを歩くとそこには30度くらいありそうな急傾斜の階段駅がある。山を登るケーブルカーの速度は遅いのが普通だが、このケーブルカーは地下鉄並みのスピードでスネガ・パラダイスまで駆け上る。〇〇・パラダイスというのは、ツェルマット周辺の展望台につけられた愛称のようなものだ。起床時には見えていたのに、スネガ・パラダイスからのマッターホルンは既にちょうど三角の山の形に雲を被っている。

 スネガ・パラダイスから少し下ったところにライリゼ―(Leisee 2232m)という小さな湖があり、斜面にかかるエレベータのようなもので簡単に降りることができるので、グループツアーでここまでだけ来たような人たちは降りていた。私たちは、ブラウヘルトまでゴンドラで上がる。ブラウヘルトからロートホルン行きのゴンドラは全て取り外され、ロープだけがゆったりと弧を描いていた。私はハイキングにもかかわらず帽子をホテルに置き忘れて来てしまったので、どこかの土産物屋で帽子を買おうと思っていたのだが、朝早いためまだ店が開いておらずここまで買えずじまいだったが、ようやくブラウヘルトの売店でマッターホルンをモチーフにしたデザインのキャップをゲット。私は観光地に来てもあまり土産物を買わないが、なくしたり忘れた身の回り品を買うことはしばしばで、既にミラノ中央駅を発つ前に飛行機に置き忘れた眼鏡の代わりにイタリア製の眼鏡をゲットしていた。安いものだがイタリアのデザインということで満足。

 スイスはどこに行ってもこのような行き先表示板が整備されているのがうれしい。私たちが目指すリッフェルアルプ駅(Riffelalp)は1時間45分となっている。道草を食わずに行けばそんなものなのかもしれない。ここからハイキング開始。

 1番目の湖、ステリゼ―(Stellisee 2537m)に到着。湖面に前方の山々が映っている。

 湖の向こう側まで歩いて、こちら側を見ると、

 雲を被っていて逆さマッターホルンは見えず。湖面が波立っているので雲が無くても見えないだろう。

 さらに歩いて第2の湖グリンジゼー(Grindjisee 2334m)。カラマツに囲まれた湖に映る逆さマッターホルンが絵葉書やカレンダーになるという絶好のポイントだが、雲にはばまれてだめ。

 ここでは、どうしてもマッターホルン命!という感じになってしまいがちだが、反対方向の景色はなかなか素晴らしい。この雪山は中央奥のなだらかな方がシュトラールホルン(Strahlhorn 4190m)、手前の三角に尖った方がアドラーホルン(Adlerhorn 3988m)だろうか。

 さらに歩き3番目の湖、グリュンゼー(Grünsee 2300m)へ。ここでは泳いでいる若者がいたが、ここはマッターホルンが見えるポイントではない。

 この湖の少し先にある山小屋でランチにする。このラザニエは美味しかった。

 食後、ハイキングの終点リッフェルアルプ駅に向けて歩き始める。

 正面の双峰の山の名前は何だろう。グーグルマップを3Dモードにして立体的に見える角度を変えて見るとこの写真と同じ形をしている山が見つかる。しかし、それが何山なのかは3Dモードでは表示されず、平面モードにするとどこだかわからなくなってしまう。しかし、おそらくオーバーガベルホルン(Obergabelhorn 4063m)だろう。

 以前もユングフラウ地方の山の名前がわからなくて苦労したので、各地の博物館に行くとボタンを押すとランプがついてどこかわかるような山々の模型(ジオラマ)があるが、今回はこの地方のジオラマ、机の上に載せられるくらいの30cm四方くらいのものがお土産として売っていないかなと探し、最終的にツェルマットの駅前の売店で絵葉書として売られていたヴァリス地方のミニ・ジオラマを発見し即購入。

 これをできるだけ視線を低くして、拡大写真を撮るとこうなる。マッターホルンをツェルマット側から撮った。写真真ん中下方の谷間がツェルマットで、正面がマッターホルンだ。

 しかし、残念ながらジオラマの精度が低すぎて山の形などわかりようがない。一番特徴的な形のマッターホルンでさえこの状態では他の山は望むべくもない。この他に、この地方の5万分の1の地図も購入した。これはCHF32.50もする高価なものだが自身へのスイス土産だ。

 これは高精度だが平面地図のため、ある方向から見た山の形をイメージするのは、地図の専門家か登山家でもむずかしいのではないだろうか。話がそれたが、リッフェルアルプ駅の近くまで来るとマッターホルンは頂上の一部を除いて姿を現していた。

 駅に着くとちょうどゴルナーグラート鉄道の電車が上って来た。昨年行ったので今年の計画にはなかったのだが、ピークパスで乗り放題なので、ゴルナーグラートまで上がることにした。

 ゴルナーグラート鉄道は、このような高所を走る登山電車だが複線だ。

 結局最後まで雲は取れず、頂上のゴルナーグラートでは乗って来た電車がすぐに折り返すため改札口を出ず(この鉄道は駅入退場時にICカードをタッチすることになっている)、ツェルマットに引き返した。

 ツェルマットの駅前通りではアルプホルンの演奏をやっていた。また白馬の二頭立て馬車がときおり行き交う。これはツェルマッターホフ(Zermatthof)という老舗ホテルの送迎サービスのようだが客がいなくても景気づけに走っている様子。

 夕食はイタリアンを食べるつもりだったのだがランチにイタリアンを食べてしまったので、マッターホルンがゴジラのように白煙を噴き出す様子を見ながら、スーパーで買って来た食材をホテルのベランダで食べる。ローストチキン、サラダ、チーズ、パン、フルーツにスイスワイン。

第7日 マッターホルン・グレッシャー・パラダイス

 起床時、沈む満月とマッターホルン。

 ツェルマット滞在最終日は、今回の最高地点、マッターホルン・グレッシャー・パラダイス(Matterhorn Glaicier Paradise 3883m)に行く。ここに行く秘められた目的はこうだ。今年の1月~2月にグリンデルワルドで高校の同級生とスキーを滑りまくり、私としては一生分のスキーをやった満足感を得てもうスキーは卒業してもよいという気になったものだ。ただ、スイスでグリンデルワルドと双璧をなすツェルマットでのスキーは、もしかして行く気になったときにスキーガイドなしで行けるように下見をしておきたいという気持ちがあったのだ。

 昨夏にグリンデルワルトから日帰りでツェルマットに来た際にゴルナーグラートまで上がり、リッフェルベルクからリッフェルアルプまでのハイキングをし、昨日はスネガパラダイス、ブラウヘルトからリッフェルアルプまでのハイキングをしたのでフィンデル氷河(Findelgletscher)をはさむエリアのいくつかのスキーリフトあるいはゴンドラのある場所もわかってきた。そして今日マッターホルン・グレッシャー・パラダイスまで行けばテオドゥール氷河(Theodulgletscher)沿いのスキーエリアの土地勘をつかむことができる。何より大事なのは、マッターホルン・グレッシャー・パラダイスからイタリア側のチェルビニアの街まで滑り降り、ゴンドラ、リフトでスイス側に戻って来るという国境越え遠征コースがあるのだが、その入口くらいは確認しておきたいということがあったのだ。

 7時からの朝食開始に対して7時15分過ぎくらいに行くと、中国人グループ客で席が埋まっており、出直しに。そういえば、昨年スイスに来たのは8月だったが、このときは中国人が多いのは変わらないが、韓国人の特に若い女性数人のグループが目立ち、日本人はあまり見かけなかった。しかし今回韓国人はほとんど見なかった。最近東京で観光ボランティアをしても韓国人をほとんど見かけないのは現在の日韓関係の影響と思われるが、ヨーロッパで見かけないのは韓国の経済状況が悪化しているのではないだろうか。逆に日本人は、昨日のハイキングでもガイド付きのグループにいくつか会ったし、ツェルマットの街中でもよく見かけた。時期的に高山植物開花のピークが7月のため日本人は8月よりも7月に多い、と言われたことがあるが、そういうことなのかもしれない。

 若干出遅れて9時を過ぎてしまったが、今日はハイキングではなくゴンドラ往復の観光および視察なので時間的には余裕がある。もっともマッターホルンを見るという観点では、出来るだけ朝早く行くに越したことはないのだが。駅前通りを山に向かって進み氷河から流れ出て来た白濁した川に沿って遡る。繁華街を通り抜けるとマッターホルンが眼前に大きく見えてくる。

 ホテルから写真を撮りながらゆっくりと30分近く歩いてゴンドラ乗り場に到着。ここは「地球の歩き方」ではシュルーマッテン・リフト乗り場、「るるぶ」ではヴィンケルマッテン(Winkelmatten)と書かれている。SBB(スイス国鉄)の乗換案内アプリでは、Zermatt(Matterhorn Talstat.)と書かれている。Talstat.はTalstationの略で、サンモリッツにもあったなと思って調べたら、Talが谷の意味なので、日本語では山麓駅というところだ。実際、駅に何と書かれていたかは記憶・記録ともないが、ツェルマットでもらった絵地図にはWinkelmattenとなっていた。ゴンドラ5分乗車でフーリ(Furi 1867m)に着き、ゴンドラを乗り換えて7分乗車でシュヴァルツゼー(Schwarzsee 2583m)に着く。

 ゴンドラを降りるとそこに遮るものはなく、マッターホルン(Matterhorn 4478m)がひとり聳え立っていた。正面の尾根がヘルンリ尾根で、向かって左が東壁、向かって右が北壁だ。この雪渓右手の岩の上にある白い建造物がヘルンリ小屋と思われる。

 左手のもっこりとした山がモンテ・ローザ(Monte Rosa 4634m)と思われる。

 これはリスカム(Liskamm 4527m)で、ともにマッターホルンより高い。

 黒い湖という意味のシュヴァルツゼー(Schwarzsee)と、湖畔に立つ礼拝堂。この湖はマッターホルンに近寄り過ぎているため、逆さマッターホルンは映らない。

 ついに撮れた逆さマッターホルン!シュヴァルツゼーから200mほどマッターホルンから離れる方向に移動したところにある5万分の1の地図にも載っているが名前がない湖。大きさはシュヴァルツゼー自体がほとんど池というくらい小さい湖だが、これはその何分の一かの面積。はっきり言ってしょぼい感じなのでシュヴァルツゼーまで来てもここまで来る人はほとんどいない。でもここでお宝発見!風もなく鏡面のようなのでバッチリ撮れた。下のスマホ地図でシュヴァルツゼーの右下にあるのがそれだ。

 再びゴンドラに乗って上を目指す。シュヴァルツゼーからのゴンドラは、いったん谷間に向かい、中間駅のフルク(Furgg 2432m)では降りずにそこからトロッケナーシュテック(Trockener Steg 2939m)まで登る。はっきり覚えていないが、シュヴァルツゼーも多分中間駅だった。つまりフーリからトロッケナーシュテックまで乗り換えずに行ける。絵地図でも線が連続している。ただしフーリからトロッケナーシュテックまで直に行くなら、直通のロープウェーがある。夏は動いていないようだが。

 トロッケナーシュテックで大型ゴンドラに乗り換える。これは座席が4列あって28人も乗れるが、ゴンドラなのでリフトと同様に次々に来る。シートは外観から見るとヒーターが入っているのではないかと思われる。

 このゴンドラから右に目をやると、マッターホルンを東壁側から見ることになり、これまでとは違う姿に見える。一枚岩の東壁の上部左側が段付きになっている。下を流れるのはフルク氷河(Furgggletscher)。

 同乗のスキーを持った若者が、あそこ、山登りをしているよ、と教えてくれる。ゴンドラ進行方向左側のブライトホルン(Breithorn 4164m)の山頂を目指して豆粒のようだが多くの人が列をなしているのがわかる。

 ゴンドラの山頂駅は恐ろしい岩山の山頂をくり抜いて作られている。しかも2つもある。ゴンドラは、それ自体上りと下りがセットになっているので複線だが、最近新設されたようで複々線化されている。なお、今は複線運転のみで、スキーシーズンは複々線運転するのだろう。

 マッターホルングレッシャーパラダイス(Matterhorn Glacier Paradise 3883m)に到着。ここは山の名前としてはクライン・マッターホルン(Klein Matterhorn)と呼ぶようだ。ゴンドラ駅から短いエレベータで展望台に上がると、ここはマッターホルンより何百メータか低いくらいなので、ほぼ同じような高さに見ることができる。

 展望台の上は狭いのでけっこう混みあっていた。3883mもあるので寒い。空気も薄い。運動すると高山病になる恐れがある。今回はここでハイキングをしないのでよいがスキーは要注意だ。

 

 展望台から降りて、外に出てみる。するとそこには標高3800mとは思えない大雪原が広がっている。ここからTバーリフトで正面のなだらかな丘の上まで行くと、そこから向こう側は5万分の1地図を見るとイタリアになることがわかる。しかし、絵地図と地図を見比べるとスキーコースとしてはそこではないように見える。

 

 これは先ほどと同じ場所から右方向を撮影したもので、リフト(絵地図によるとTバー)が横方向に走っている。このなだらかな雪原はPlateau Rosa(ローザ平原)と思われ、ここはスイス領だ。雪のない小高いピークはテスタ・グリジア(Testa Grigia 3480m)と思われ、これはスイスとイタリアの国境に位置する。よって、先ほどのTバーの終点からPlateau Rosaをほぼ国境線に沿って尾根近くを伝って滑るとテスタ・グリジアの山頂の到達するのではないだろうか。ただしこの写真を見てもわかるようにほぼ平らで最後は上りなので漕がないといけないかもしれない。絵地図の裏面のスキーバージョンでもそういうスキーコースの線は引いてある。

 あと、3883mの高所なので、よほど好天でないと危ないし、リフトも動かないと思われる。テスタ・グリジアにはトロッケナー・シュテックからリフト2本で上れることになっているので、その方が楽かもしれないとも思ったが、これもTバーでテオドゥール氷河(Theodulgletscer)を横断し、さらにテスタ・グリジアまで高度を稼がないといけないのでTバーから脱落しないように行くのはかなりの難行かもしれない。

 首尾よくテスタ・グリジアにたどり着けばイタリア側のチェルビニアの街(Breuil-Cervinia 2050m)まではロングクルージングができるらしい。チェルビニアからの帰りは、ロープウェー、ゴンドラ、ロープウェーの3本でテスタ・グリジアまで戻って来られるが、時間には余裕を持ち、天気ももつことが明らかでないとイタリア側に足止めになり下手をすると帰国便に間に合わなくなる可能性がある。「熟年スイススキー紀行 -ツェルマットで滑る- 加藤行樹著」にも滞在中イタリアまで行ける好天の日は最後の1日しかなかったと書かれていた。

 またこの本には滑っているとあっけなく国境を越えてしまったと書かれていたが、もう一度読み返してみたらテスタ・グリジアより少し下のテオドゥール峠(Theodulpass 3301m)からイタリアに入ったことがわかった。スキーコースとしてもテスタ・グリジアで国境越えをするとイタリア側チェルビニアのスキー場の一番右端の外れの方に出るようなのでチェルビニアの真ん中に出られるテオドゥール峠で国境越えするコースの方が初めて行くには適切と思われる。ここまでわかればあとは行って見るだけなので、事前視察としてはミッション・コンプリートとしたい。

 さて、雪の平原から屋内に戻り、観光用に整備された氷の洞窟を見学し、大きなレストランでランチにスパゲティを食べ、私はここでこれまで言及している5万分の1の地図を買い、引き返すことに。

 これは、ゴンドラから見たテオドゥール氷河の末端だ。

 乗換駅のトロッケナー・シュテックにはイタリア方面の案内表示が出ていた。また、このゴンドラ建設工事の技術説明スペースが設けられていた。このロープにぶら下がってみたら、当然ながらびくともしなかった。

 

 ツェルマットに降りたあと、イタリアンジェラートを食べ、マッターホルン・ミュージアムを見学してホテルに戻る。滞在最終日なのでお土産の買物をし、帰国用荷造りをしてから夕食に出かける。最後はスイス料理の定番チーズフォンデュで締めくくる計画だ。

 妻がTripadvisorで調べた駅前通り沿いに奥に進み、マッターホルン・ミュージアムの少し手前にあるレストラン・スターデル(RESTAURANT STADEL)に行く。

 メニューをじっくり読み、メインのチーズフォンデュだけではパンとジャガイモをチーズにつけて食べるだけになるので他に何を頼むか考える。熟考した結果、ビーフ・カルパッチョと焼いた海老入りのサラダに決定。これを注文すると、店の女性は飲み物の注文に移ろうとするので、チーズフォンデュを注文しようとすると、まだ食べるのかという感じだったので、この2点は量が多くてそれで充分と言ってるのだろうかと思ったが、チーズフォンデュは落とせないのでヴァリス風チーズフォンデュを注文。最後に、飲み物はスイス産赤ワインとしどれを飲もうかと。

   Wir möchten Rotwein trinken. Was empfehlen Sie? (赤ワインを飲みたいのですが、お薦めは何ですか?)と定番の表現で聞く。店の女性のお薦めはハウスワインの赤だったが、指し示されたところにはグラスワインと500cc瓶ものしか載っていない。うーむ、私たち日本人2人ではそんなに飲めないと思われたか、と思いつつ750cc瓶のページを開いてもう一度聞くと、やはりハウスワインだと言うので、値段も手頃なのでそれにした。

 ハウスワインはこれまでグラスでしか飲んだことがなかったので知らなかったが、ボトルにはStadel-Rot(スターデル-赤)という立派なラベルが貼られている。なかなか美味しかったので、ついついグラスを空けてしまうとすぐ注がれてしまい、特に妻は私よりは酒量が少ないので、妻のグラスに注ぎに来られたときには、Langsamer, bitte.  (ゆっくり目にしてください)とお願いする。スキー場では狭くなっているところには、Langsam! (ゆっくり!)と看板が出ているのでわずかなドイツ語語彙でもこういうのは定着してきた。

 前にグリンデルワルドでチーズフォンデュを食べたときは、付け合わせに生ハム盛り合わせをとったらどのハムも塩辛くてつらく、海老などがほしいと思ったことが今回のメニュー選定理由なのだが、カルパッチョはさっぱり、焼き海老は香ばしく、チーズフォンデュとよくマッチした。チーズフォンデュはヴァリス風で、ヴァリスはツェルマットのある地方の名前だが、ベーシックなチーズフォンデュだ。つけあわせはカゴに入ったパンと、布袋のなかにはいった2~3cmくらいの小粒のジャガイモの蒸かしたようなもの。

 ワインも1本軽く飲み切り、デザートのアイスを食べて満足。お店の人に、ドイツ語を上手に話すのですね、とほめてもらい、Ich lerne Deutsch seit zwei Jahren. (2年ドイツ語を勉強しています)と応じて気持ち良く店を後にした。このレストランは予想よりも安く、味も対応もよかったので今回の旅行の中ではベスト。

 第6日、第7日の総括としては、ツェルマットは何と言ってもマッターホルン。マッターホルンに始まりマッターホルンで終わる。マッターホルンが頂上まで雲がかからずに見えるかどうかで満足の度合いが変わる。これはツェルマット初心者の感想でリピーターになると見方が変わってくるのかもしれないが、それだけ存在感が大きいということだ。

第8日 チューリッヒ、パリ経由で帰国の途に

 起床時のマッターホルンは、赤味がさしてモルゲン・ロートな感じ。

 写真を撮ってベランダから戻るときに、荷造りしおわったバッグがドアのそばに置いてあったためにドアが半開きにしかならない状態で部屋の中に入ろうとしたらパジャマのポケットをドアの金具に引っ掛けて破いてしまった。かぎ裂き状態なので当て布でもしないと直らない。そこで、チェックアウト後、駅周辺の開いたばかりの土産物屋でマッターホルンのワッペンを売っていないか探す。3軒目でちょうどいいのを発見しアイロンでつけられることを確認して即購入。帰国後に修繕。

 マッターホルンのために破いたものをマッターホルンで修復する。なんと素晴らしいことか。色も合っているし。こういうのがただの土産物より記念になってよい。

 

 ツェルマット駅の発車案内板とスマホの乗り換え案内。私たちは8:37発のフィスプ(Visp)行きに乗る。これはチューリッヒ空港(Zürich Flughafen)までわずか1度の乗り換えで行けるので楽である。列車がホームに入線してきたら、すぐに乗り込んで荷物置き場を確保する。

 チューリッヒ空港でチェックイン、軽くランチを取り、余ったスイスフランは使い切らなくても帰国後円に戻せばいいといいつつも最後のお土産を買う。妻は、カッコーの鳴く回数で時刻を知らせるカッコー時計と男の子の人形を買い、これはペーターだから友達のハイジもと薦められて結局両方購入。私はポロシャツを1枚。

 

 チューリッヒからパリまでは、HOP!という航空会社のFor AIRFRANCEと書かれた機体に乗り込む。パリでの乗り継ぎは1時間20分しかなく、HOP!はLCCのためにちょっと離れたところにある質素なターミナルに着いたので、そこで出国審査を通り走れるところは走って羽田行きエアフランスの搭乗口についたときにはけっこういい時間だったが、搭乗開始が若干遅れていたので列に並んで一息ついた。スイスではずっと天気がよかったが、パリは曇り空だ。若干遅れで無事パリを出発。エコノミーでは普通は飲めないシャンパンを飲む。

第9日 羽田着

 帰りは行きより少し短い飛行時間で羽田到着。荷物受け取り場所に行くと、係りの人が名前を書いたプラカードを掲げていて4つ預けた荷物のうち3つはパリで積み残されたとのこと。乗客は間に合っても荷物が間に合わないとは。帰りだからまだよかったが、行きだったら大問題だ。受け取れなかった3個は別送品申告書を書いてくれ(住所氏名は自分で記入)税関を通るときに提出した。エアフランスの羽田-パリ線は1日2往復で、今夜着の便で来るが、配送などの関係で自宅で受け取れるのは翌々日になるとのこと。結局そのとおりで、翌々日の午前中にヤマトの宅急便で届いた。 

 最後に問題はあったが、この旅行は天気に恵まれ、当初の目的を達することができた楽しい旅行だったということで締めくくろう。

 

置き忘れた眼鏡の顛末

 行きのエアフランスのシートポケットに置き忘れた眼鏡2個は結局出て来なかった。もともと私の不注意なので外国の飛行機に置き忘れたら出てくる方が不思議、という見方もあるかもしれないが、私はエアフランスほどの航空会社なら連絡すれば必ず出てくる、と当初楽観していたのだ。以前中国在住中の一時帰国時に中国国際航空のシートポケットに電子ブックのキンドル・プレーヤーを置き忘れたのだが、これは成田空港の中国国際航空チェックインカウンターで再出国時に受け取ることができた経験があったこともある。

 今回エアフランスに連絡がすれば出てくると考えていたのだが、連絡を取ることがこれほど困難だとは思わなかった。やったことを箇条書きにする。

1.グーグル検索で飛行機の中に忘れ物をしたときにどうすればよいか、を検索。

2.エアフランスのサイト内に忘れ物時の連絡先メールアドレスが出て来たので、英文メールを書き送信。

3.このメールアドレスは存在しません、で不達となる。

4.メールアドレスの頭に余計ではないかと思われる文字列(mail.)がついていたので削除して再送信。

5.エアフランス内のメールサーバからこのアドレスは存在しないの返信あり。

6.旅行会社にメールして支援を依頼。

7.旅行会社はエアフランスの日本法人に連絡してくれたが、エアフランスの日本法人では忘れ物に関しては探せないという冷たい回答。その代りエアフランスサイト内の忘れ物申告サイトのURLを示された。

8.このサイトはグーグル検索で調べたときにも出て来たが途中で入力の仕方がわからずあきらめていたのだが、再度トライし、「フランス・オブジェ・トゥルベ(France Objects Trouves)に申告する」、というわかりにくい文言のところをタッチすることが判明。

9.その先はログインが必要になり、未登録な場合はメールアドレスとパスワードを登録するようになっている。私は出発前にエアフランスのスマホアプリをインストールしたが登録がうまくできずにあきらめていたいわくのあるものだったので嫌な予感がした。

10.ログインも新規の登録もできない。パスワードを忘れたとき、に進むとふつうはメールアドレス宛に新しいパスワードを設定する案内が出てくるが、メールアドレスを入力すると、不正なアドレスであるとか既に登録されているとかメールアドレスとパスワードの関係が不正などのメッセージが出るだけで先に進めない。

11.妻は同アプリを使えていたので妻のアプリから申告しようとするが、妻のパスワードがうろ覚えで先に進めない。

12.妻のアプリにチャットで相談できるコーナーがあり、そこに前に書いたメールをコピペして送信。

13.例の忘れ物申告サイトのURLを示される。

14.そこがログインできないからチャットで聞いていると伝える。

15.翌朝の回答でパリのエアフランスの電話番号を示される。

16.ツェルマットからパリに携帯で国際電話をかける。これは日本経由となるのでかなり高いはずだ。人が出ると思って話す要点を英語でメモしておいたのに全て機械音声の自動応答。質問ごとに、1とか3とか入れていき、結局最後にたどり着いたのはあの忘れ物申告サイトのフォームに記入しろということ。

17.羽田到着後に、荷物が届かないと知らせに来た係員(これはエアフランスではなく羽田空港の人)に調べてくれるよう依頼。

18.調べたが、なかった、もう1週間以上経っているのでわからない、とのこと。

 エアフランスは忘れ物に関してはどんなことがあっても人手をかけないことにするという方針なのだろう。それならまともに使えるシステムを作ってもらいたいものだ。そういえば、帰国便のエンタテイメントシステムの中にご意見コーナーのようなのがあって、もう私はそんなものはどうせだめだろうと思って書かなかったのだが、妻が入力しにくいキーボードから入力してくれた。しかしこの回答は来ていない。

 エアフランスの機内食は評判通り美味しかったが、忘れ物対応に関しては疑問符をつけざるを得ない。生身の人間が出る電話番号もしくは意見が届くメールアドレスはどこにあるのだろうか、と思って最後に羽田で荷物が出て来なかったために渡された「エースフランス航空カスタマーケアのご案内」というチラシを見てみた。コールセンター電話番号が載っていたがこれは航空券に関する窓口だった。カスタマーケアのWEBサイトのURLが載っていたので、申し立て書というところにアクセスし、乗った便名から名前などをもう一度入力し、メッセージ欄に意見を書き込んだ。返事まで何週間かかかるとのことだが、まともな返事が来ることを期待したい。

(2019/8/5)