御朱印集め

御朱印集め(49) おのころ島神社

御朱印集め(49) おのころ島神社

 伊弉諾神宮に引き続き、国生みの聖地とされるおのころ島神社(自凝島神社)を訪れた。

御由緒

 上写真の案内には、おのころ島神社の字が、磤馭盧島神社と彫られているが、御由緒は以下のように記されている。

 当神社は、古代の御原入江の中にあって伊弉諾命・伊弉冉命の国生みの聖地と伝えられる丘にあり、古くから「おのころ島」と親しまれ崇敬されてきた。古事記・日本書紀によれば神代の昔国土創世のときに、二神は天の浮橋にお立ちになり、天の沼矛を持って海原をかき回すに、その矛より滴る潮がおのずと凝り固まって島となる、これが磤馭盧島である。二神はこの島に降り立たれ、八尋殿(やひろでん)を建て 、先ず淡路島を造りつぎつぎと大八洲(おおやしま)を拓かれた、となっている。(以下略)

御祭神

 伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)

 伊弉冉大神(いざなみのおおかみ)

 菊理媛命(きくりひめのみこと/くくりひめのみこと)(合祀)

 この三柱のうち、菊理媛命は日本書紀にだけ登場する神で、伊弉諾尊が火の神を生んだときの火傷で亡くなった伊弉冉尊を黄泉の国に訪ねて、見るなよと言われたのに見てしまったために、醜くなった姿を見られて激怒した伊弉冉大神に追いかけられて泉平坂(よもつひらさか)で相争った。そのときにこんなことがあった。以下全現代語訳日本書紀(宇治谷猛著)上巻による。

 伊弉諾尊がいわれるのに、「はじめあなたを悲しみ慕ったのは、私が弱虫だった」と。このとき泉守道者(よもつもりびと)が申し上げていうのに、「伊弉冉尊のお言葉がありまして、『私はあなたともう国を生みました。どうして更にこの上生むことを求めましょうか。私はこの国にとどまって、ご一緒には参りません』と」このとき菊理媛神(くくりひめのかみ)が申し上げられることがあった。伊弉諾尊はこれをお聞きになり、ほめられた。

 とのことなのだが、このとき菊理媛神が何と申し上げられたのかは書かれておらず不明である。

鶺鴒石

 おのころ神社ホームページ https://www.freedom.ne.jp/onokoro/index.html から引用すると、 

 伊弉諾命・伊弉册命の二神様は、正殿前にあるこの石の上につがいの鶺鴒(セキレイ)が止まり夫婦の契りを交わしている姿を見て、夫婦の道を開かれ御子様をお生みになられました。

 とのことだが、前述の日本書紀と現代語古事記(竹田恒泰著)には、この鶺鴒のエピソードは見つからなかった。現地にだけ伝わる伝承、あるいは風土記を調べると記載があるのかもしれない。

 妻と二人で来たので、【今の絆をより深めたい場合】にしたがってお祈りしたが、「この部分を軽く握ってください」の部分ではなく縄の端っこを握ってお祈りしてしまった。

正殿

 

八百萬神社

 

御朱印

以上

(2023/6/10)