御朱印集め

御朱印集め(32) 一言主神社

御朱印集め(32) 一言主神社

 茨城県常総市に鎮座する一言主神社(ひとことぬしじんじゃ)を訪れた。

御由緒

御祭神

 一言主大神(別名 事代主神)

 上記、神社の御由緒書きに記されているとおり、事代主神(ことしろぬしのかみ)は出雲大社に祀られている大国主命の長子である。ということは、高天原の天照大御神が建甕槌神(たけみかづちのかみ)を葦原中国(あしはらのなかつくに)に遣わせて、国を譲るように交渉させた「国譲り神話」のときに、建甕槌神が大国主命に国を譲るように話をしたところ、大国主命は、我が子が申し上げることだとし、事代主神に問うと、天つ御子に国を譲ることに同意した、その神である。(御朱印集め(11) 出雲大社参照。)

 事代主神の弟の建御名方神(たけみなかたのかみ)は同意せず戦いを挑んだが、建甕槌神が圧倒的に強かったため、国譲りは成立した。しかし、時は下って、神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと=後の神武天皇)が神武東征を行った際に、大和の国で最後まで抵抗したのが、事代主神の子孫である長髄彦(ながすねひこ)である。国を譲らされた出雲系の遺恨のようなものを、高天原系の神日本磐余彦尊に対して抱いていたのではないか、というようなことをこの御朱印集めシリーズのブログのなかで何度も登場する田中英道先生はおっしゃっていた。

 一言主神社のウェブサイトには、「祭神の一言主神は、言行一致の神様とされ、何事も道理をわきまえ、良いことにつけ、良からぬことにつけ、よく聞き分けて人々の幸福のために直ちに御利益を授け、一言の願い事でも疎かにせず願いを叶えてくださるといわれています。」と記載されており、事代主神の国譲り時のふるまいは、そのようにも感じられる。

境内

鳥居

 いちばん外側にある鳥居は、現代になってから建ったと思われる新しいものだ。

 ここからが神社の境内の雰囲気で、鳥居が四基連なる。

拝殿

 拝殿は慶応三年(1867年、江戸時代の最後、大政奉還が行われた年)に再建、正面の向拝(こうはい)は昭和六十年(1985年)に新築されたものだ。銅板葺きの屋根の造形が美しい。

本殿

 本殿は、長禄三年(1459年)に再建、元禄十三年(1700年)に遷営のために大修理された。屋根は銅板葺き。

御神木

 杉の大木とのことで、見上げた雰囲気は杉なのだが、幹から吹き出ている小枝の若葉は杉の葉の形ではなく不思議だ。樹木の先祖返りのようなものだろうか。 

御朱印

以上

(2022/5/1)