中国渡航記

黄山旅行

黄山旅行

ロープウェイ雲谷寺駅から望む黄山

 上海に異動してから初めての社員旅行は、桂林、黄山、紹興、青浦の4コースの中から希望者が多いところに行くとの案内があった。
 桂林は山水画のような景色の中を舟で川下りをするので日本でも有名、黄山は中国でよく名前を聞く山、紹興は紹興酒で有名な街、青浦は全然知らなかったが上海近郊のちょっとした休暇村ということである。
 黄山は、少し調べると世界遺産で、黄山に登らずして山を語ることなかれ、と言われるほどの名山らしい。そこれで黄山にしようかと思ったのだが、募集案内には次のようなことが書かれていた(日本語版の一部を紹介)。
 

黄山観光の注意事項:
1. このコースは十分な忍耐力と体力が必要です。
また、宿泊条件の制限を受けるので、日帰り登山となります。事前に十分に準備してください。
2. 日帰り登山は非常に厳しいので、力相応に事を行って、無理はをしないでください。
3. 9/3朝早いので、5:30にモーニングコールサービスします。
登山所要時間は約6時間です。途中で長い休憩時間がありません。
上記のように、慎重に考えてください。

 これは、いかん。職場内最高齢で登山経験もほとんどない私には無理かもしれない。何事にも前向きで常に私の背中を押して来た妻でさえ、黄山は止めておいた方がいいんじゃない?と。うーむ、仕方ない、深センにいた今年のGW直前に深センからは近いので個人的に探したがもう一杯で取れなかった桂林にしよう、これなら安全だから、と申し込んだ。ところが、上海から桂林は遠く空路利用で費用もかかるためか、申し込み者が少なく、黄山と紹興の中から選び直すようにという通知が再び来た。

赤い印のところが黄山

 紹興は何かの旅番組で紹介していたのを見たことがあるが、小舟に乗って運河のようなところを巡り、舟からじかに民家に上がり込んで食事をいただく、というような、まったりとした印象のところで私のグループの中国人の意見では、紹興は行ってもつまらないとのこと。
 それで、「私のことを絶対に置いてきぼりにせずに面倒を見てくれる?もしそうしてくれるなら黄山に行きたいんだけど。」と言うと、「もちろん、大丈夫です。任せてください。」と答えてくれたので黄山に決定。

 その後うちの部門30名余りの行き先を聞いてみると、私のグループの3人以外は全員、私以外の日本人3人も含め、また女性は全員紹興を選択したことがわかった。
 やはり多くの人が黄山観光注意事項に恐れをなし、安易な道を選んだものと見られる。

上海から黄山市へ

 今回の旅行は、「中国人民抗日戦争及び世界反ファシスト戦争勝利70周年記念日」として祝日となった9/3(木)と、9/6(日)の代わりに振替休日とした9/5(金)を利用し、午後半日休暇を取得した9/24(水)の午後1時に会社の前から大型観光バス1台で出発。

 見回すと、うちの部門はたった3名だったが他部門からも参加者を合わせると約50名、女性も3分の1くらいおり、社員の子供なども参加していたので、一安心。因みに日本人は私一人。

私たちの観光バス 扉が前と真ん中にあり乗降がスムーズ

 行程はほぼ全て高速道路だが上海市内を出るまでと、杭州市内の通過時に渋滞し、黄山市に着いたのは夜8時頃。

 今回のツアーガイドは昨年のタイ社員旅行の際とは違い(社員旅行でタイに行くを参照)、頭のよさそうな男性ガイドで、出発時、休憩後、到着前に必要な注意事項と名所案内を行ったあとは余計なことを言わずに休ませてくれるので快適だった。ガイドはTVニュースと同じように早口なのと、固有名詞が多く含まれるためほとんど聞き取れず、ときどき隣に座ったうちのグループのZさんが解説してくれる。固有名詞のところは、それ、どういう字を書くの?が私が必ず聞く質問で、すると手で宙に書くか、スマホに入力して見せてくれる。ああ、そういうことか、と漢字を見ると理解したり想像したりできるのは日本人の利点で、それから色々会話も弾んだりする。

 バスの中では夕食として、ファミリーマートのサンドイッチと菓子パンにウーロン茶が用意されていたが、早々と食べてしまったので、到着後は、ホテルの近くで軽く夜食を摂った。

食堂

 ちょっと日本ではもうこういう店は田舎でもほとんどないような、でも中国ではふつうの庶民の食堂である。外に置かれた木製の丸テーブルを出して食べるのもいいものである。因みに、白ご飯は10年前は中国のどこで食べても硬くてまずかったが、最近はどこで食べても日本で食べるのと特に変わらない感じで食べられるのがうれしい。米も上海でもここでも短粒米で、炊飯器も進歩したものと見られる。

黄山風景区

雲谷ロープウェイ

 黄山観光での問題は、ロープウェーの待ち時間が長く、通常でも1,2時間、ひどいときは3時間待ちとなることである。当初のスケジュール表には6時起床で朝食後出発となっていたが、前日のバスの中で、4時45分起床、5時15分出発に変更が決定された。大歓迎だ。遅く起きて3時間並ぶより、早起きして並ぶ時間が短い方がいいに決まっている。

 定刻に出発し、車中で牛乳とパンの朝食を摂り、1時間ほどで黄山風景区に到着。そこから先は外部の観光バスや個人の乗用車は入れず、専用のバスに乗り換える。日本の上高地の入山規制などと同様だ。専用バスは環境保護のために電動バスになっているかと思ったが、そういうことはなかった。

ロープウェー切符売場の行列はまだ少し

 7時前には標高約900mの雲谷ロープウェイの雲谷寺駅に到着、まだ人も少ししか並んでいらず10分ほどで8人乗りのゴンドラタイプのロープウェイに乗り込むことができた。

雲谷ロープウェーで

 左からYさん、Zさん、私。

山歩き

 7:20頃には歩き始めた。歩道はよく整備され、足元はほとんどコンクリートか石段。土の上を直接歩くことはまずない。黄山は基本的に岩山で、岩を削って歩道が作られているところもあるが、垂直に近い切り立った山肌では、コンクリートの歩道を張り出させて作られているところが多い。

 下の地図はジョギングなどを趣味にする人が使っているスマホのアプリで歩いたルートの軌跡を示したもの。スマホのせいかアプリのせいかわからないが山の上なのにGPS電波が弱いと表示が出て、歩き始めて15分ほどしてからようやく記録スタートした。最後の方で軌跡が黄色と赤色になっているところは下りロープウェーに乗ってしばらくしてから気づいて記録をオフしたため。移動速度が速いと軌跡の色が黄色や赤色に変化するのだ。

軌跡

 下りの玉屏ロープウェイの乗り場に着いたのが13:50頃なので概ね6時間半ほどかかったわけだ。昼食や小休止を含むので実際歩いたのは5時間程度か。地図の下部に05h07’04”と表示されているのは実際に移動している時間と思われる。また移動距離は地図から見るとロープウェイの分を除くと7Kmくらいのものか。

 ロープウェイ山頂の白鹅峰駅は標高1,500~1,600mのところにあり、黄山の最高峰である蓮花峰でも1,864mなので、実際に歩く標高差としてはそんなに大したことはなさそうだ。まずは始信峰(1,683m)を目指す。ここへは難なく到達。
 黒虎松、夢筆生花などという名前のついた松や岩を見ながら歩く。

夢筆生花

 猿の形の猴子観海も。しかしこれは自然の景観なのか人工物なのか。

猴子観海

 北海賓館、西海飯店など、山の上に宿泊する人たちのためのホテルの前を通り、その先ルートが2つに分かれるという。ひとつは光明頂という黄山で2番目に高い標高1,840mを目指すルート、もうひとつは排雲亭、一環、二環という新しくできたらしい少し楽なルートだ。私は光明頂に行く途中にある飛来石が以前から黄山の代表的なポイントと思っていたので、迷わず第1のルートを選択。ここで第1ルートは8人、第2ルートはその他大勢に分かれてしまった。
 回音壁(やまびこ壁)では、せっかくなのでヤッホーと叫び、しばらく歩いて景色のよいところで一休み。

多分回音壁のあたり

美しい山並み

 そしてついに見たかった飛来石に到達。

飛来石

 これまで見ていた写真ではもっと不安定でいまにも倒れそうな印象があったのだが、実際見てみると案外しっかり立っていた。

 うちのグループのZさんとYさんが面白い写真を撮ろうということで私も同様の写真(左)を撮ってもらった。それで私のオリジナルで(というほどのものではなく、東京タワーの前でこんなポーズを取りそうな気もするが)山の形のポーズの写真を撮ってもらおうとした(右)。

山の高さは自分と同じ? 痛みをこらえて山のポーズ

 ところが、山の形に腕のとんがりが重ならないようにと、向かって左側に半歩ずれたら、ズドーンと右足を通路の外に踏み外してしまった。50cmくらいの高さだったので転倒はしなかったがものの無理に右足を踏ん張ったため、右脚ふくらはぎが伸ばし過ぎてつったような状態になりあ痛たたっ!

 ふくらはぎを伸ばす体操をしようにも痛くて全然伸びない。骨は折れてませんか?とか聞かれ、肉離れくらいはしてるかもと思ったが、朝、起き際に伸びをして脚がつるののもっとひどいバージョンくらいなので5分くらいの休憩後気を取り直して歩き始める。どういう歩き方が痛くないか研究しながら歩いたが、上り階段でも下り階段でも右脚を伸ばしたり踏ん張ったりしないように歩けばよいことを発見。

 程なく小さな売店があったので、そこで1本20元の木の杖を購入。これは、前日に山の上で買うと高いから買うならいま買った方がいいですよ、と言われていたものだが、写真を撮るときに邪魔になると思いそのときは買わなかったものだが、この期に及んでは仕方がない。8元と20元の差を考えている場合ではない。

杖の持ち手 杖の石突き

 杖の持ち手は鳥か魚かと尋ねたら、これは龍だそうだ。龍にしては髭も何もないじゃないか、と言うともっと高いのにはあります、芸術品です、と言われてしまった。まあ、一番安いやつだからこんなものだよね。
 杖の石突きの部分のゴムは激務で上海に戻ったときには完全に擦り切れていた。

 杖を突いても長い登りが続くと右脚をかばいながら歩いているために両太ももがパンパンに張ってき、今度はここがつりそうな状態になり、休み休み状態に。
 
 飛来石を上から見るとこんな感じ。

飛来石遠景

 光明頂の頂上は、意外と平らで人が大勢いる。階段よりはこういうところが脚が痛く、ルートを選んで注意深く登る。

光明頂の頂上

 杖の先には何がある?

パレードブルーの空がある

 このあと第1、第2グループは合流し、黄山白雲賓館で一緒に昼食を摂る。昼食後に腰痛にでもなったときに貼れるように持っていた貼り薬(膏薬)をふくらはぎに貼り、常備の鎮痛剤と筋弛緩剤も飲んだ。食べ終わったのが11時半過ぎなので予定よりだいぶ早い。
 
 午後もまだあと、2,3時間の歩きがあるが、Zさんが新しくできたと言う道を行こうというので、谷周りルートのようなところを歩いた。 

不安定そうな岩 トンネルや橋もある

 ここは比較的楽なルートだったが、実は鳌魚峰の頂上に行くルートがあり、Zさんは私の脚を案じて、こちらを選んでくれたのであった。
 因みに合流点から、頂上ルートから降りてくるところを見ると岩肌にへばりついた高度差が大きなルートで、いろは坂式ルート(写真下左)と、一直線の急勾配ルート(写真下右)があった。

いろは坂式 一直線

 因みに黄山にも昔で言えば駕籠かきが居る。駕籠ではなく椅子に乗せて二人一組で担ぐなかなか大変な仕事だが、天海から鳌魚峰まで2Kmで100元とか、他の山に比べて比較的安いそうだ。実際担がれている女性を見たが、急な石段を降りるときは落ちないように椅子の背にもたれた後ろ向きの形になり、結構乗るのも大変な様子だった。私も脚の痛みが我慢できないくらいなら話のネタに乗ってみないでもなかったのだが。

駕籠かき

 霧が出て来ると晴天とはまた違う風情がある。

霧の黄山 絵心をくすぐられる

 迎客松(写真下左)。いろんな名前を付けるが松は松。送客松(写真下右)の案内板。
下の方に日本語で「環境保護は黄山の存続と発展の基礎を守っていることだ。」と変な日本語か書かれているのが可笑しい。標語好きの中国人の作った中国語の標語は、そういう言い方を見慣れているせいか違和感はないが、これを日本語に直訳すると変な感じ。

迎客松 送客松

 ようやくロープウェイ玉屏駅に到着。私たちが最後の3人だったようだ。
Yさんによると、ツアーガイドの人はたびたび〇〇先生(=私のこと)はいまどこにいますか?と心配していくれていたそうだ。
 死ぬほど大変ではなかったが、上り階段がたったの数十段つづくとほんとに太ももがあがらなくなる、というのは初めての経験だった。
 
 でも大変だったけど来てよかった。

 五岳帰来不看山 黄山帰来不看岳

(中国で有名な)五岳に登れば他の山に登らなくてよい
        黄山に登ればその五岳にも登らなくてよい

と言われる名山だけのことはあった。

玉屏ロープウェイ

 帰りの玉屏ロープウェイも時間が早かったため、5分ほど並んだだけで乗ることができ、機先を制するということの重要性が改めて感じられた。

 因みに我が家の近くに玉屏南路という道があるが、これは黄山の玉屏から取ったものかもしれない。上海市内の道路は北京東路とか四川路とか中国各地の名前がつけられているので、そう考えると何でもない裏通りだが、ちょっと優雅な気分になれるというものだ。

老街

 市内に戻ってもまだ時間があったので古い市街地を散策した。
安徽省洋様式の商店が立ち並び、これもまた雰囲気のあるとところだった。
 ソフトクリームを売っていたのでお茶の味のにしたが、これは日本の抹茶ソフトとは違い、この辺りの名産のお茶が使われていて、色はうっすら灰色、ほんのりとした香りの上品なものだった。

老街

古い安徽省様式の建物

宏村

 三日目の天気予報はにわか雨的雷雨だったが、午前中は天気がもち、安徽省の古い家並みを保存した宏村というところを見学した。各種商店、塩の販売で大金持になった立派で大きな商人の家、清貧をつらぬいた役人の質素で小さな家などがある。
 商人は職業的地位としては最下位ということで、これは昔の日本の士農工商と同じだが、その地位に応じて、家の間口の広さや家の層数(五重の塔ではないが、段々になった屋根の層数)にルールがあり、いくら大金持ちの商店主でも間口だけは小さく作ってある。しかし中は何部屋もあり、以前は金箔の装飾が施されていたとのこと。
 大金持ちの立派な役人の家というのもあり、これは現代にも通じることであろうが、賄賂を受け取ったりいろいろと悪いことをした人なのであろうと想像。
 因みに寺院などで内壁に金箔が貼られていたようなところは文化大革命時に紅衛兵に見つかると破壊されるので金箔の上から毛沢東の肖像画を貼りまくって見えないようにし、嵐が去ったあと肖像画を剥がしたのだが、画と一緒に剥がれてしまい、いまではただの木の壁になってしまったそうだ。

宏村入口 典型的安徽省様式の建物

池にかかる橋 安徽省様式の立派な建物

おこわ風? 乾物+お茶屋

漬物? 毛豆腐

茶もみ実演 菓子を切り分ける

工芸品 集合場所の大樹

(2015/9/9)

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