御朱印集め(22) 宮崎神宮
今回の神社巡りのラストは、宮崎県宮崎市神宮に鎮座する宮崎神宮である。
御由緒
御祭神
神武天皇神日本磐余彦尊(じんむてんのうかむやまといわれひこのみこと)
相殿神
鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)・・・・神日本磐余彦尊の御父君
玉依姫命(たまよりひめのみこと)・・・・神日本磐余彦尊の御母君、豊玉姫命の御妹君である
御系譜
この一連の神社巡りの、ナビゲータとも言える田中英道先生は、次のようなことを仰っている。
神武天皇の存在の問題が、戦後ずっと問われてきたが、私ははっきりと「存在された」と言うことを主張している。ここ日向は、「日に向かってたつ」という意味で、神武東征の旅で最終的にお着きになった大和の橿原神宮や畝傍山(うねびやま)の近くにお墓もないし、必ずしも宮があったということも言えないということで、あたかも神武天皇がおられなかった、というようなことが言われることがあった。
神武天皇は始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)と呼ばれ、第10代の崇神天皇も御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)と呼ばれる。字は違うが二人の天皇が同じ天皇であるということを考えれば、これがぴったりと合う。
神武天皇が都をお造りになった橿原神宮、畝傍山の近くというのは、最初の天皇とは名づけられてはいないが、天皇と言ってもいい、(関西に)天孫降臨された饒速日命(にぎはやひのみこと=天忍穂耳尊の子で、九州に天孫降臨された邇邇芸命の兄弟)がおられた。
神武天皇が即位されたのは紀元前660年という古い世代なので、「果たして神武天皇が660年におられたのか、それはおかしい」というのがこれまでの説だ。けれども、御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)がちょうど崇神天皇と合致するということろで、そして欠史八代という初代と第10代の間の天皇が、饒速日命の王朝の天皇であった、あるいは天皇であったということとつながる。
先生のお話はさらに続くが、これくらいにしておく。詳しくは、「決定版 神武天皇の真実」田中英道著(扶桑社)をご覧いただきたいが、私は何度も読み返した。先生の説は難しいので、文章で書かれていることを図に表し直してみた。それでも先生の説を正しく理解できたかはわからないが、日本書紀、古事記という、天武天皇が681年に編纂を命じられた日本国の正史のなかで、神武天皇が紀元前660年に即位されたと書かれた、そのことを私は尊重する。
境内
一の鳥居
二の鳥居
楼門
拝殿
本殿
拝殿内の扁額は、中央に「宮崎神宮」、右側に「神武天皇」、左側に「鸕鷀草葺不合尊・玉依姫命」。
菊の御紋の神社幕の向こうに見えるのが本殿と思われる。
新嘗祭
この日は11月23日、現在は勤労感謝の日という国民の祝日だが、終戦の前までは「新嘗祭」(にいなめさい)だったのだ。社殿前には収穫された米、野菜、果物がお供えされていた。
10時開始だったが撮影したのは午後3時前だったので、写真では片付けているところ。
古代船おきよ丸
神武天皇が、「日に向かってたつ」という意味がある日向から出発するときに使った船。ここから宇佐、福岡、瀬戸内海を経て血沼海(和泉国)に行った。これは西都原遺跡から出土した埴輪船を原型として復元されたもので、全長12メートル。
御神田
田中英道先生は、この御神田は、宮崎に(水が豊かで農耕が盛んであった)高天原(関東・東北)から稲作が持ち込まれた、ことを示唆すると仰る。
御朱印
結語
田中英道先生の「神話で読み解く日本の起源史 聖地探訪・日本神話の歩き方」(ダイレクト出版)の足跡を辿る旅はこれで完結した。
実際に日本の起源となる場所を訪問することにより、これは神話ではなく、実際にあった歴史である、という認識が強くなった。この旅の中でも同じ神様がいくつもの神宮に祀られていることがわかる。特に今回の九州編では、瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、鸕鷀草葺不合尊、神日本磐余彦尊の四柱は、それぞれ、霧島神宮、鹿児島神宮、鵜戸神宮、宮崎神宮の御祭神(主祭神)として祀られ、またご自身が主祭神でない神宮では相殿神として祀られということで、ここまで丁寧に祀られているということはやはり実存した証拠なのだろうと考えられる。やはり、文献の世界だけで考えるのではなく、実地踏査すると体感できるのだ。
20世紀最大の人類学者であるレヴィ・ストロースは、「日本の神話ほど神話と歴史をうまく溶け込ませているものはない」と語り、また江戸時代の政治家、学者である新井白石は、「神とは人なり」という言葉を残している。
このような素晴らしい特徴を持つ神話・歴史を持つ日本に生まれたことを誇りに思う。
同時に学校教育でほとんど教えられなかったことを残念に思う。いいかげんに「神道指令」のくびきから脱して、日本の起源史を学校で教えられるようにすべきと強く考える。「12,3歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は例外なく 滅びている」という20世紀を代表するアーノルド・J・トインビーの遺した言葉のとおりにならないように。
以上
(2021/11/30)