御朱印集め

御朱印集め(28) 宗像大社

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御朱印集め(28) 宗像大社

 福岡県宗像市に鎮座する宗像大社を訪れた。宗像大社は、沖津宮(沖ノ島)、中津宮(大島)、辺津宮(本土)の三社の総称で、実際に訪れたのは辺津宮である。

御由緒

 宗像大社は、日本神話に登場する日本最古の神社の一つだ。御祭神は、天照大神の三女神で、沖津宮(おきつぐう)、中津宮(なかつぐう)、辺津宮(へつぐう)にそれぞれ祀られ、この三宮を総称して、宗像大社という。

御祭神

・田心姫神 たごりひめのかみ (沖津宮 おきつぐう)
・湍津姫神 たぎつひめのかみ (中津宮 なかつぐう)
・市杵島姫神 いちきしまひめのかみ (辺津宮 へつぐう)

 この三柱の神は、天照大御神(あまてらすのおおみかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)の誓約(うけい)で成った神なので、同じくこのときの誓約で成った天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)や天之菩卑能命(あめのほひのみこと)とは兄弟姉妹の関係になる。

 このときの誓約の様子を竹田恒泰著・現代語古事記から引用する。

 二柱の神は天の安の河を挟んでお立ちになり、初めに天照大御神が、須佐之男命の帯びていた十拳剣(とつかのつるぎ)を手に取って、三段に打ち折り、勾玉をゆらゆらと揺らしながら天之真名井の水ですすぎ、噛みに噛んで、吹き出した息の霧に成った神の名は多紀理毘売命(たぎりびめのみこと)、またの名は興津島比売命(おきつしまひめのみこと)、続けて成ったのは、市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)、またの名は狭依毘売命(さよりびめのみこと)、そして次に成ったのは多岐都比売命(たきつひめのみこと)。こうして須佐之男命の剣からは三柱の神が成りました。

 神の名前の漢字が御祭神のところの字と異なるのは、文字がなかった頃の神話を漢字に当てているためだ。

境内

 この一帯は、“世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群” に指定されている。宗像大社は、当初この旅の目的地に入っておらず、直前に宗像大社も行けるのではないか、と旅程に組み入れたために、調べが足りずに気が付いていなかった。中津宮へは、船で行かないとならず時間不足で不可能ということで、その他の周辺遺産もすっかり抜け落ちてしまった。この世界遺産に関しては、宗像大社のウェブサイトから入口があったことに後で気が付いたが、なかなかよくできたサイトで、これを見ると今度機会があったら行ってみたくなる。→ https://www.okinoshima-heritage.jp/

 では、辺津宮の境内に進もう。

(一の)鳥居

 駐車場(右の広場)わきにあり、自動車はこの鳥居を通らずに別の入り口から入るため、結局この鳥居はくぐらなかった。

(二の)鳥居

石灯籠

 菊の御紋章がついている。皇室の参拝は数多く行われているが勅祭社ではない。

手水鉢

神門

拝殿

 扁額には、「奉助天孫而 為天孫所祭」とある。後で調べてみると、この扁額の全体が写っている写真ではこの言葉の上に「神勅」と書かれており、つまり天照大神から宗像三女神へのご神勅ということだ。宇治谷猛著・全現代語訳日本書紀によると「お前達三柱の神よ、海路の途中に降り立って、天孫を助けまつり、天孫のためにお祀りをされよ」ということだそうだ。天孫は、天照大御神の孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと=霧島神宮に祀られている)のことである。

 拝殿内の鴨居の上には百人一首の絵札のような絵がたくさん飾られていて美しい。

本殿

末社

高宮参道

 

第二宮(ていにぐう)

御祭神

 田心姫神(たごりひめのかみ) 沖ノ島 沖津宮の御分霊

 

第三宮(ていさんぐう)

御祭神

 湍津姫神(たぎつひめのかみ) 大島 中津宮の御分霊

高宮祭場

 長い階段を上った先にある。

 神社に社殿が構築される以前の祭祀形態である神籬(ひもろぎ=樹木)の祭場であるとのこと。

 

 ここが祭場。

 高宮祭場のお賽銭箱の位置からは沖ノ島、大島は見えなかったが、階段を少し下った眺望が開けた場所からは、海が見えた。

御朱印

 辺津宮の御朱印が押されている。

 ネット上には、天照大御神のご神勅が書かれたものもアップされていたが、これはシンプルなタイプである。

以上

(2022/4/21)