御朱印集め

御朱印集め(30) 英彦山神宮

御朱印集め(30) 英彦山神宮

 今回の旅の主目的地である福岡県田川郡添田町に鎮座する英彦山神宮(ひこさんじんぐう)を訪れた。

 

御由緒

 御朱印授与時にいただいた案内書きによると、創建は神代、開山は継体天皇二十五年(531年)で、英彦山は、古来より神の山として信仰されていた霊山で、御祭神が天照大神の御子であることから「日の子の山」即ち「日子山」と呼ばれていた。

 弘仁十年(819年)には嵯峨天皇の詔によって「日子」を「彦」に改め、次いで、享保十四年(1729年)には霊元法皇の院宣により「英」の一字を賜り「英彦山」と改称され現在に至っている。御本殿にある、上宮は、神武天皇が東征の折り、天村雲命を遣わせて建てられたと伝わり、その後災害等で幾度となく再建されるが現在の社殿は天保十三年(1842年)に佐賀藩主鍋島斉正公によって再建されたものだ。

 また、英彦山神宮のウェブサイト(https://hikosanjingu.or.jp/)によると、英彦山は、中世以降、神の信仰に仏教が習合され、修験道の道場「英彦山権現様」として栄えたが、明治維新の神仏分離令により英彦山神社となり、昭和五十年6月24日、天皇陛下のお許しを得て、戦後、全国第三番目の「神宮」に改称され、英彦山神宮になっている。

御祭神

主神 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)

配神 伊耶那岐命(いざなぎのみこと)

   伊耶那美命(いざなみのみこと)

主神のお名前は長いので、このあとは省略して天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)とお呼びする。

 さて、天忍穂耳命は宗像三女神と同じときに行われた天照大神と須佐之男命の誓約(うけい)によって成った神で、そのときの様子を竹田恒泰著・現代語古事記より紹介する。

 ・・・そして、今度は須佐之男命が、天照大御神の左の御みづら(角髪)に巻いてあった勾玉を手に取り、ゆらゆらと揺らしながら天之真名井の水ですすぎ、噛みに噛んで、吹き出した息の霧に成った神の名は正勝吾勝勝速日天忍穂耳命。右の御みづらに巻いてあった勾玉を、噛みに噛んで、吹き出した息の霧に成った神の名はは天之菩卑能命(あめのほひのみこと)。

 ということで、見事に宗像大社の三女神と太宰府天満宮の菅原道真の祖先である天之菩卑能命がつながった。

 さらに、天孫降臨の経緯を同古事記により紹介する。

 ・・・天照大御神と高木神(たかぎのかみ=高御産巣日神 たかみむすひのかみ)は太子である正勝吾勝勝速日天忍穂耳命に詔(みことのり)あそばされ「今、葦原中国(あしはらのなかつくに)を説得して平定したと報告があった。よって、命令したとおりに、葦原中国に降って、国を知らせ(治めよ)」と仰せになりました。太子の天忍穂耳命は、「私が降る準備をしている間に、子どもが生まれました。名は、天邇岐志国邇岐志天津日高日古番能邇邇芸命(あめにきしくににきしあまつひこひこほのににぎのみこと=邇邇芸命/ににぎのみこと=瓊瓊杵尊/ににぎのみこと)といいます。この子を葦原中国に降すべきでしょう」と申し上げました。・・・このようなことで、天照大御神と高木神は邇邇芸命に「この豊葦原水穂国(とよあしはらみずほのくに=葦原中国)は汝が知らす国であると命ずる。よって、命令のとおりに天降りなさい」と仰せになりました。

 ということで天照大神の孫、つまり天孫である邇邇芸命が降臨することになったのだ。

 

 昨秋の鹿児島・宮崎の神社巡りシリーズで訪れた神宮と主祭神のご系譜をまとめると図のようになり、天孫降臨された霧島神宮の瓊瓊杵尊の父として、この英彦山神宮の天忍穂耳命が位置することがわかる。緑色は、私が実際に訪れた神宮の主祭神を表す。残すは伊勢神宮の天照大御神のみである。さらには、天照大御神は英彦山神宮の配神となっている伊耶那岐命(いざなぎのみこと)の禊(みそぎ)から生まれたので、伊耶那岐命をお祀りする伊弉諾神宮にも訪れることを今後の計画としたい。

境内

 英彦山神宮ウェブサイトより周辺マップを引用する。自動車を銅鳥居近くの駐車場に停め、石畳の参道を歩き、花駅から神駅までスロープカーに乗った。幸駅から花駅の区間は運休だった。上宮は標高1199mもあるので、奉幣殿と下宮まで訪れた。

銅鳥居

 扁額の書体がどことなく山伏風である。

修験道本山霊泉時

 神仏習合の時代に修験道の道場「英彦山権現様」として栄えた名残りか、境内にこのような寺や、修験僧が籠った建物が参道の両側にいくつもある。

増了坊

 増了坊は英彦山の山伏の中でも御三家と言われるたほどの、有力な大先達の坊だった。坊舎は鍋島藩の宿坊でもあった。

スロープカー

 花駅からスロープカーに乗る。ケーブルカーのようにロープを巻き上げるて移動するのではなく、1本のレール横に設置されたラックギヤに車体側のギヤを噛み合わせて移動する方式。外国製のようで、私にとってこのタイプは初めて乗る非常に珍しいものだった。左側に降りてきた車両は2両編成。花道-神駅往復で大人620円。片道は310円。

 このように斜面(スロープ)を、多分一定の傾斜になるようにくねくねと曲がりながら登って行く。全線複線のため、真ん中ですれ違うということはない。

奉幣殿

 奉幣殿とは聞きなれない名称だが、奉幣の意味は、広辞苑によれば、神に幣帛をささげることで、幣帛とは神に奉献する物の総称。通常は拝殿と本殿の間に幣殿(幣帛を奉奠するする社殿)があるが、英彦山ではその幣殿と拝殿が一体となったものと考えられる。通常の本殿は、山頂にある本社(上宮)がそれにあたるのではないだろうか。

社務所

 御朱印はこちらで頂ける。

 

 下宮、中宮、上宮への登拝口に鳥居が建ち、その下は上宮遥拝所となっている。

上宮遥拝所

 

下津宮

御祭神

 (現地では、御祭神の案内板には気が付かなかったのだが、ウェブサイトを見ると以下のとおり記載されている。)

 速須佐ノ男命(はやすさのおのみこと)・神武天皇・大国主命

 

 下津宮から見下ろす奉幣殿の屋根

 金色の紋様は、英彦山が日子山だったことを考えると、やはり太陽だろう。

 日本八大天狗 彦山豊前坊の像

 

御朱印

以上

(2022/4/22)