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御朱印集め(9) 櫻川磯部稲村神社
桜川市の2社目、櫻川磯部稲村神社は、桜で有名な磯部桜川公園の近くにある。
御由緒
111年創建。「景行天皇四十年十月、日本武尊・倭姫命、伊勢の皇大神宮の荒祭宮礒宮を此の地に移祀す。」と書かれている。
御祭神
多くの神が祀られているが、古事記(竹田恒泰著 現代語版)に登場する神のみこの書に基づく説明をつける。表記は、本社の御由緒書きのとおりにした。日本書記名と古事記名が大きく異なるものは両名を記した。
・天照皇大神(あまてらすのおおかみ)
伊耶那岐の禊で左目を洗ったときに成った太陽の神、皇祖神。
・天之手力雄命(あまのてぢからおのみこと)
天照皇大神が天の石屋戸(あめのいわやど)にお隠れになったとき、少し開いた戸のすきまから天照皇大神を引っ張り出した剛力の神。
・栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)
古事記では萬幡豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)と呼ばれる。天地初発の際に、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)に次いで、二番目に現れた高御産巣日神(たかみむすひのかみ)が成した神で織物の神。この神と天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)との間に生まれたのが瓊瓊杵尊。
・瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)
古事記に登場せず。Wikipediaによると、水神や祓神、瀧神、川神で、天照大神の荒御魂とされることもあるそうだ。とてもきれいな名前でお会いしてみたいものだが、天照大神の荒御魂ともあるように気性の激しい方かもしれない。
・木華咲耶姫命(このはなさくやひめ)
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨したあと、一目で恋に落ちて結婚した大山津見神(おおやまつみかみ)の娘。姉の石長比売(いわながひめ)とともに姉妹で結婚したが、姉があまりに醜かったために返されてしまった。石長比売は石のように永遠の寿命を持っていたから桜の花のようにもろくはかない木華咲耶姫命と一緒に嫁がされたのに、石長比売だけが追い返されたために、このときから天皇命(すめらみこと)にも寿命が与えられるようになり、瓊瓊杵尊には墓があるとのことだ。
・天之児屋根命(あめのこやねのみこと)
天照皇大神が天の石屋戸にお隠れになったとき、石屋戸の前で始まった祭の祝詞を唱えた。祝詞の神。
・天太玉命(あめのふとたまのみこと)=布刀玉命(ふとたまのみこと)
天照皇大神が天の石屋戸にお隠れになったとき、天之児屋根命とともに八咫鏡(やたのかがみ)を石屋戸の隙間に差し入れて天照皇大神に御自身の姿を映させ、石屋戸の外にも同じ太陽神がいるとびっくりさせた。
・玉柱屋姫命(たまはしらやひめのみこと)
古事記に登場せず。
・天鈿女命(あめのうずめのみこと)日本書記名=天宇受売命(あめのうずめのみこと)古事記名
天照皇大神が天の石屋戸にお隠れになったとき、石屋戸の前で胸乳をあらわに出して、服の紐を陰部のところまで押し下げた。すると高天原がどよめき、八百万の神がどっと笑ったので不審に思った天照大御神が石屋戸を少し開かれた。芸能の神。
・倭姫命(やまとひめのみこと)
第十二代景行天皇の妹で、日本武尊(やまとたけるのみこと)の叔母にあたる。日本武尊の熊襲征討の際には衣装を与え、東征の際には草薙剣(くさなぎのつるぎ)を与えた。また伊勢神宮を創建した。
・日本武尊(やまとたけるのみこと)日本書記名=倭建命(やまとたけるのみこと)古事記名
第十二代景行天皇の皇子で、熊襲(くまそ)征討・東国征討を行ったが、父に疎まれ悲劇的な死を遂げる。
・玉依姫命(たまよりびめ)
海の神である大綿津見神(おおわだつみかみ)の娘で、山幸彦=火遠理命(ほおりのみこと)と結婚した豊玉姫命(とよたまびめ)の妹。豊玉姫が渚で鵜の羽で葺いた産屋が葺き終わる前に生んだ、鵜葺草葺不合命(うかやふきあえずのみこと)と結婚し、生んだ子が後の神武天皇となる磐余彦(いわれびこのみこと)=伊波礼毘古命(古事記名)である。
・豊受大神(とようけおおかみ)=豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)古事記名
伊耶那美神(いざなみのかみ)の尿から成った神で生成の神である和久産巣日神(わくむすびのかみ)の子が、穀物の神である豊宇気毘売神。後に天照大御神の食事を司る神として、伊勢の神宮の外宮に祭られることになる、極めて重要な神様。
要石
地震除けの要石だが、ここに鹿島神宮と香取神宮の石の形の違いの意味が書かれている。鹿島のは凹型で鯰の頭を押さえ、香取のは凸型で鯰の尾を押さえているとのことだ。鹿島・香取の要石の案内にはそのようなことは書かれていなかったので新しい発見だ。
こちらの要石は凸型だ。
境内社
〇〇神宮内宮摂社二十四社五十六座大神
〇〇のところが光って読み取れないが、これまでに登場した神様の関係から、とりわけ倭姫命、豊受大神の関係から〇〇は「伊勢」ではないだろうか。
天神社(あまつかみのやしろ)
御祭神
造化三神(ぞうかさんしん)、神代七代(かみよのななよ)が祭られていると説明板にある。
竹田恒泰著・現代語古事記では、以下のように記されている。
別天神(ことあまつかみ)・・・天地が発れて早い時期に成った特別の神、五柱をこう呼ぶ。
造化三神・・・竹田恒泰著現代語古事記ではこの言葉は使われていないが、以下の三神が一般にこのように呼ばれているようだ。
・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)天地初発で最初に成った神
・高御産巣日神(たかみむすひのかみ) 〃 二番目に成った神
・神産巣日神(かみむすひのかみ) 〃 三番目に成った神
・宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびこじのかみ) 〃 四番目に成った神 説明板になし
・天之常立神(あめのとこたちのかみ) 〃 五番目に成った神
神代七代
・一代 国之常立神(くにのとこたちのかみ)
→説明板上の国之常立神
・二代 豊雲野神(とよくもののかみ)
→説明板上の豊斟渟尊(とよくむのみこと)が日本書記名で同じ神
ここまでは独神(ひとりがみ)で男女の区別なし
・三代 宇比地邇神(うびじにのかみ 男神)/須比智邇神(すびちにのかみ 女神)兄妹だが夫婦になった。以下の神も兄妹だが夫婦になったようだ。
→説明板上の埿土煮尊/沙土煮尊が日本書記名で同じ神
・四代 角杙神(つのぐいのかみ)/活杙神(いくぐいのかみ) 夫婦
→日本書記名は、角樴尊/活樴尊 だが、説明板上になし
・五代 意富斗能地神(おおとのじのかみ)/大斗乃弁神 夫婦
→説明板上の大戸之道尊/大苫辺尊が日本書記名で同じ神
・六代 於母陀流神(おもだるのかみ)/阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ) 夫婦
→説明板上の面足尊/綾惶根尊が日本書記名で同じ神
・七代 伊耶那岐神(いざなぎのかみ)/伊耶那美神(いざなみのかみ) 夫婦
→次の多賀神社の説明板上にある、伊弉諾尊/伊弉冉尊が日本書記名で同じ神
※説明板上にある国狭槌尊(くにさつちのみこと)は、日本書記に登場する神で古事記上の神との対応は不詳。
多賀神社
足魂神社(あしたまじんじゃ)
御祭神
・饒速日命(にぎはやひのみこと)
古事記では邇藝速日命(にぎはやひのみこと)。天孫降臨した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の兄弟。田中英道教授の考えでは、瓊瓊杵尊が九州に天孫降臨したのとは別に、邇藝速日命は大和地方に天孫降臨したとする。
・玉御祖神(たまのみおやのかみ)
天照大御神が天の石屋戸にお隠れになったとき、思金神(おもいかねのかみ)が命じて八尺勾玉(やさかのまがたま)の飾りを作らせた神。
鹿島神社
御祭神
・武甕槌神(たけみかつちのかみ)・・・・鹿島の神
・経津主神(ふつぬしのかみ)・・・・香取の神
・岐の神(くなどのかみ)・・・・息栖の神
御朱印集め(3) 息栖神社で、主祭神を天鳥船神としていましたが、主祭神は岐の神で、天鳥船神は住吉三神とともに相殿神でした。訂正しておきます。
御朱印
この神社は、あまりにも多くの神様が祀られており、調べるのが大変だった。しかし、調べれば調べるほど、ブログに書けば書くほど、これは神話なのか、ここまで詳細に具体的かつビジュアルに書かれているのは現実にあったことが伝承されているからではないのかと思わざるを得ない。現代の子供たちは、というよりも私も含めて戦後生まれの子供たちは神話を学校で教えてもらえなかった。それは終戦後に日本を占領したGHQが神道指令を発して日本の強さの源泉とみた、神道教育を徹底的に廃したからだ。二十世紀の代表的は歴史学者であるアーノルド・J・トインビーは、「十二、十三歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる。」との言葉を残しているそうだ。今こそ、日本の初等教育で古事記を教えるべきではないだろうか。
(2021/9/28)